Ψ 筆者作 「公園の無題」 F40 油彩

数ある造形要素の中で「遠近法」を本格的に論じたら本一冊ぐらいできるだろう。造形史の中ではっきりした意識や冠詞を伴うそれで最初に出て来たのはルネッサンス期の透視図法を基礎とした「パースペクティヴ」の概念だろう。この「幾何学的遠近法」は、「黄金分割」や「解剖学」などとともに絵画に科学的視点を導入し、リアリズム表現を格段に進歩させた要素であるが、風景画そのものがなかったので人間や物語性の背景表現として採用された。この遠近法は、フランドル風景画の「鳥瞰」、「俯瞰」やオランダ風景画の「低地平構図」にも応用されることになるが、注目すべきは、不安感や緊張感ある画面にはこのパースペクティヴを敢えて崩すという当代の画家の優れた造形感覚の存在である。例えばこの延長戦上にはアインシュタインの「相対性原理」の先を行くような、空間、時間そのものを歪ませるという造形性もある。
ただこの透視図法は風景画に厳格に使いすぎると、建築や不動産の広告物たる「パース」のような、硬いつまらないものになる。結局は画家の造形感覚により適宜調整される。
次に表れたのが古典主義風景画の「色彩遠近法」である。これは近景を茶、中景を緑、遠景を青で描き分ける。成功したものは絵画空間の大きさ広さを感じるが、頼りすぎると類型に陥る。次が印象派の「大気(空気)遠近法」である。これは印象派の太陽光線のスペクトル、「時間」の概念への着目、色彩の解放という古典主義になかった造形性の導入であり画期的なものとなった。
先に述べたコロ―の遠近法はこのどれにも当たらないと言える。これを筆者は「心理遠近法」と呼んでいる。独自の緑、銀灰色の大気、逆光による透かし、これらのスキルが画面に詩情と深みを与え、心理的な奥行を感じるのだ。ただこう言ってしまえば、印象派後の風景画はみんな、種類の違う「心理遠近法」と言えそうな気がするが…。