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Ψ 筆者作 「ポプラと青空」 F30 油彩
 
 昨今諸々の「現象」(現象については別項で述べた。)が、余りに空虚で愚かしく、人の所業も所詮他愛無いものと思え、それらが次第に「実在感」のない「透明」なものとなって来たように感じる。
 一方、外的存在としての自我もその現象の座標の中で位置づけられて居るので、その関わりの過程で、よく言えば、「悟り」、悪く言えば「諦念」、に似た心情を抱く。つまりその分自我も透明になっていくのだ。こう考えると人間の「死」というのはその透明化の極致のようなものではないかとさえ思う。だんだん透明になりスーッと消えていく。これは一つの理想かも知れない。死に因み泣いたり叫んだり大騒ぎするのは人間ぐらいなものだろう。動物や虫の方がよほど潔い。鳥達はその亡骸さえ曝さない。あの世まで俗臭芬芬の「信仰」を持っていくことなど考えるだけでゾッとする。
 (つづく)
 
追記 ところでこの空と水のグラデーション、自ら勝手に「スーパー・ハイテクニック」と呼んでいるが、その空こそ透明で、高く、抜けるようなものでなければいけない。ベタッと貼りついたようなものものはダメなのだ。こういうところの表現こそが難しい。