①上二点  佐伯作「レ・ジュー・ド・ノエル」オリジナル
     ②下  筆者による油彩+グアッシュによる模写(「米子加筆説」破綻の証明)イメージ 1
イメージ 2
 
 先ず修復研究所は、亀裂や落剝、欠損などの修復箇所を膠液で溶いた炭酸カルシウムなどで充填処理をし、その上から水彩(おそらくグァッシュ)で着彩する。つまり、上層も下層もともに水性であるので何の不合理もない。仕上げ絵具とされる最上部の絵具層は薄く塗るはずなので、下層ともども除去することができる。
 一方落合氏は佐伯の描いた油彩面の上に米子がグァッシュ で加筆したという。つまり、「修復」と「描画」という全く違う意義を無視し、同じ素材であるという一点をもって強引に結び付けているのである。繰り返すがこれは落合氏の素材に関する無知によるものである。その象徴が「不透明水彩は、表面の絵の具と加筆の絵の具を接着する役割を果たす。つまり、加筆部分の油絵の具が剥落するのを防ぐためである。」という水と油の関係の常識を無視した驚くべき認識である。
 これは「グァッシュ」とか「修復」を知らないのみならず「油絵」を知らないことに他ならない。そんな必要性があるなら古今東西油絵など存在できない。
 
 論より証拠を示す。
 上掲の画像②は、落合氏主張の「佐伯の油彩面上の米子のグアッシュ加筆」の例、①は当該作品佐伯のオリジナル二点の図録写真である。
 先ずオリジナルで佐伯の文字の線を確認していただきたい。いずれも佐伯特有の、地の色面を引きずりながら一気加勢に引かれたものである。
 模写の二階の文字はそのように引いた。次に一階の≪les jeux de noel≫の文字と二階の窓の桟を見て頂きたい。これが落合氏主張の「米子の加筆」、即ちグァッシュの線である。二階の文字と同じ筆で描いたにも拘らず細く鮮明である。これは乾いた油性面の上に水性の絵の具で描いたため(濡れていたら引けない)弾かれ収縮して細く鮮明になったからである。このような針金のような鮮明な線は佐伯の絵画に一切ない。
 まだある。空の黒っぽい線は黒のグァッシュを濃いめに溶いて描いた。これで≪uzo saeki≫と何度も描いたが、弾いてまるで描けない。黒は特に酷く見ての通り。こんなもので佐伯特有の黒い線が引けるわけがない。
 「上から油を垂らす」ということだが、これもやったが何の油彩的効果もない。しかもこれらは時が経つにつれ剥離していくだろう。ガムテープなどを貼って勢いよく剥がしたら他愛なく剥がれるはずである。
 
 これらで総て明らかになった。佐伯絵画に米子の加筆はない!