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 Ψ 上 佐伯掲載画集 オリジナル作品「広告とガス灯」
 
 
 
 
 
 
 
Ψ 下  「佐伯キャンバス」による同作品筆者模写(P12 油彩)
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  ところで、上掲作品は一応模写なのであるが、佐伯作品に関しての模写は他とは趣が違う。他は特定画家の技法を忠実に追体験することにより自己の創造の参考とするという意義があり、概ね時間の制約もない。(参考 http://blogs.yahoo.co.jp/asyuranote/56696879.html
 しかし佐伯の創造を追体験するというのは、その時間との勝負という制約が係る。
  佐伯は街頭に、20~30号程度のスケールのキャンバスを立て数時間で現場で仕上げ、ほとんど家で加筆しない。つまり、生のモティーフを見て、感じ、その心の動きがそのまま手の動きに連動し、余分な造形的作為はほとんど介在しない。つまり、モティーフと作家の間に遮るものなくグイグイ描けるのである。一方佐伯を模写する場合、そういう現場での感覚ない中、「速戦即決」でオリジナルに似せるというのは不可能である。オリジナルに近づくためににはある程度乾燥させる時間が必要だし、乾燥後の描きこみで現物に似ては来るが佐伯の勢いは失われる。
 したがってこの模写は佐伯キャンバスの「食いつき」具合と「早描き」の如何の確認に留まる。 
 
 さて、多くの佐伯作品を展覧会場などで観ると、画集などで個々に見ては気づかないことがある。それは、意外に佐伯作品は厚塗りではなく、ものによっては独自の地塗りの地がそのまま見えているものもある。あるいは、相当厚塗りした画面であっても、その画面は何か御影石か平たい金属のような硬質の画面に描かれているいるような、絵具層の下の「地」の平滑さを感じるのである。普通のキャンバスは麻布の目の上に絵具層があり、それが色を塗り重ねることによって、布目の効果が出たり、油彩のマティエール特有の柔らかで重厚な「味」になったりするものであるが、画一的と言えば画一的で、佐伯キャンバスは先ずこういう「油彩の類型」を脱する。
 また、佐伯芸術の大きな特長は言うまでもなくその伸びやかで鋭い線にある。佐伯キャンバスではその線が布目でとぎれることもなく、勢いを保ったまま引かれる。厚く塗られた色面も同様で、けれんみなく純粋な絵具層を作る。これが石造りのパリの街の硬質なマィテエールの表現に適う。これはユトリロが絵具に壁材を混入させたり、絵具から敢えて油分を除去させたという感覚にも通ずるだろう。佐伯キャンバスはこの辺の佐伯の造形感覚の受け皿として必須であった。
 また佐伯キャンバスについて語った前述の鈴木誠らは、その手製キャンバスが佐伯の「早描き」に適していたのではないかと推測している。確かにそのドミアブソルバンは、吸収も早く、食いつきも悪くない。上掲模写もほぼ一日で描いた。しかしその吸収の良さとは普通のキャンバスと比較した場合、「日単位」で言えることで、佐伯の場合は午前一枚、午後一枚、現場仕上げの「時間単位」の早描きである。いくらなんでも描く傍から乾いていくという速さはない。佐伯の早描きは手製キャンバスの特質と合い俟った別の造形的工夫があると推測するのだが、これは件の出版物で述べているので「乞参照」ということになる。
 さて、その佐伯キャンバスの塗布剤の正体とは一体なんだったのだろうか?評伝で伝えられる証言をいくつか記す。
 米子夫人
≪床一面に麻布を枠に張ったのを並べ、胡粉と膠、亜麻仁油を混ぜたのを大きな鍋で煮てキャンバスに塗ります。それが乾くとまた三回も繰り返して塗るといったような製法でした≫
阪本勝 (木下勝治郎、渡辺浩三らからの情報を基とする)
≪…幾分濃い目の膠汁に亜麻仁油とかリンシード油、石鹸水を適量に混入し、十分かき混ぜてから酸化亜鉛をいれる…≫
鈴木誠
≪三千本(?ママ)とかいう粗末な膠をアルミの鍋の沸騰した湯の中に入れる。撹拌してよく溶けた頃。油(おそらくボイル油でなかったか)をビール瓶から入れる。続いて当時高級洗濯石鹸の「マルセル石鹸」をワサビオロシで入れ。しばらく撹拌して水と油のエマルジョンが出来た頃胡粉を入れて出来上がり…≫
 
 先ず確認事項だが、上記文中亜麻仁油、リンシードは同じもの、ボイル油はそれを煮沸加工したもの。酸化亜鉛は、亜鉛華のこと、仏名ブランザンク、英名ジンクホワイトと呼ばれる白色顔料である。また「三千本」とは今日も市販されている、各種膠の中では最も安価な棒状の膠である。
 さてこれらの証言は正しいのであろうか?
(つづく)