Ψ 筆者作 「廃墟の青いバラ」  F30  油彩イメージ 1
 その画家たちが求めた造形的理想とは何だったのか?もう一度油彩の利点を整理する。
○柔らかな繋がりのあるトーンがつけられる
〇重厚で優雅なコクのある画面が得られる
〇多様な造形的可能性
 やはり、このうちの「トーンづけ」が実は最も切実に希求されたように思う。それは「リアリティー」を求めるという画家の造形本能のようなものもあるが、キリスト教との深い関係も見逃がせない。キリスト教では、当初は偶像崇拝は禁止、偶像破壊運動(イコノクラスム)さえ起こったが、やがて異国との言語の壁を越えて布教を広げるための便もあり、また「礼拝ではなく崇敬の対象ための偶像なら許される」との教義変更もあり、イコンをはじめとするキリスト教図像は東方を含むヨーロッパ全域に広がるようになった。そして、信仰が広まり深まるにつれ、キリストや聖母マリア、聖書世界が生活文化に溶け込むようなリアリティーが求められるようになり、必然その図像にも造形的リアリティーを求めるようになる。
 また宗教界や王侯貴族や権力者などパトロンの肖像画が描かれるようになるが、これも当然相当なリアリティーが求められる。こうしたリアリズムを可能にするのが、造形的には正確なフォルムとトーンの把握に他ならない。そのトーンのためにはどうしても乾きの遅い油性媒材の開発が必要だったのである。
 因みにこのリアリズムを求める精神は500余年も遅れて本邦にも及ぶ。明治政府は「富国強兵・殖産興業」のスローガンの下、西欧列強に追いつくべく西欧文明の科学的・合理的価値観を取り入れたが、それは絵画においても西洋画のリアリズムへの関心として現れる。アカデミーにおいて、りんごを「円」で描くのではなく「球」で描くという訓練が本格的に始まったのである。これはその少し前、印象派が本邦美術の平明さを取り入れたのとは真逆でこの交差は面白い。
 話をもどせば、その油彩はそういう経緯で発展しテンペラ併用期を経て、単独の素材として古典主義絵画芸術の花を咲かせた。やがて印象派、20世紀各派へと受け継がれ、今日に及んでいるという経緯は前述したが、先に述べた今後の油彩の展開の可能性について考える。
 縷々述べたごとく、油彩の造形的展開の幅の広さ、その重厚さや味わい、作品そのものの物質的存在感が他の素材の及ぶものではないと言うことは、何より600年に及ぶその歴史が示している通りである。例えば、その素材としての特性を生かすだけでそれなりの作品ができると言っても過言でないくらいである。勿論、油彩すなわち油絵には素材としてのそれなりの弱点もある。混色の制約、変色、退色、亀裂、落剥…これを逆手にとっての技法、例えば一時流行った「古さの創造」というのが可能だが、ともかく油彩は、こうしたデメリットをカバーして余りある魅力にあふれている。
 ところで「版画」にはいろいろな技法がある。木版、石版、エッチング、リトグラフ、シルクスクリーン…しかし、それがあまりに洗練化され、テクノロジカルに進歩しすぎると、それはだんだん印刷に近づいてしまう。事実印刷の原理は版画と同じなのだ!リトなど昨今の版画は、高く売るためだろうが、いくら欄外に鉛筆でサインをし、何分のいくつと限定刷り部数を示し、オリジナル性をアピールしても、印刷物と変わりない味気なさを感じる。プリミティヴな木版の方が余程手作りの「温かみ」を感ずる。
 油絵には、この木版以上の温かみがある。これが先に述べた物質的存在感というものだ。すなわち、油彩は素材として洗練される必要も進化する必要もない!それをいかに「こなす」ということの方が重要なテーマなのである。しかし油彩をこなすということは尋常一様にはいかない。多くの先達が試行錯誤を繰り返し、その懐の深さを述懐している。したがって、こなし得えない、資質に合わないなどの事由で他の素材に移るということもあり得る。 昨今、後述するアクリルや混合テンペラなど他素材作品を良く見かけるが、今一つそうする必然性を感じないが、ともかく、それはそれで個人の自由であるし、絵画的価値に結びつけば良い。
 昨今油絵以降の素材としてそのアクリル絵具以下いろいろなものが出ている。私も現場取材ではアクリルやアルキド樹脂の絵具を使っている。乾燥が速く、制約なく現場でかなりのところまで描き込めるので便利だが、風景画のタブローとしてそれで完成させるということはない。
 アクリル樹脂やアルキド樹脂は元々繊維や塗料その他に工業的に使われていたものを絵具に転用したものである。乾燥が速いのでつながりあるトーンはつけられない。乾燥後固化すると再溶解しない。ベタ塗りした場合のテラテラ感も卵テンペラに似ている。そうしたことから、昔の卵テンペラが樹脂に形を変えて復活しただけとの感があるが、卵テンペラは鶏卵を使うし、メデューム作りや、保存に手間がかかる。アクリル絵具はその意味で大画面、短時間、多作制作に向く。また、作品固有の物質的オリジナル性より、キャラクター、表現性がアピ-ルできればよい、発色は維持されるので他の媒体で複写され得る等の由により、商業美術、現代美術などで多様される。ただ欠点は、素材としてはあまりに軽い。したがって、作品そのものの物質的存在感も軽い。単独のマティエールがない。各種メデュームもあるが、先に述べた、油彩ほどの技術的多様性はない。乾燥後著しく収縮し、色調の落差も大きい。したがって、これらを予め計算しておく必要がある。卵テンペラのような油彩との混合画法は不可能。(但し混合しない併用は可能)前述のようにトーンはつけられないなど。なおトーンについては、マスキングを伴いエアブラシなどにより可能だが、それは画一的、無機的で本来のトーンのような生きたトーンにはならない。それを避ける場合はやはりハッチングとなる。私は「第三のトーンづけ」として凹凸を作り「こすり付け画法」を試みたことがある。トーンは一応成功したがやはり重厚さには欠ける。反面、芸術性はともかく、エアブラシなどテクノロジーを駆使すれば、「ハイパー・リアリズム」などの視覚的に驚きを与えるような表現も可能。インダストリアル・イラストレーションの一部に見られる。
 いずれにしろ、どんな素材が自分の作品傾向に合っているか、その素材をどう活かせばよいか適切に見極め、最終的に絵画的価値に結びつけばよい。
 前記「ハイパー・リアリズム」に関しこれは油彩にも見られる。私個人的にはアクリル絵具という素材の可能性に限界を感じているが、この「油彩ハイパー」の方には芸術的限界を感じるのである。(つづく)