一部論外を除き、絵画芸術に関して、どのような視点や価値観や自らの造形的立場を持とうと自由である。また、芸術だからといって殊更大仰に、高尚・高邁に、複雑に構える必要もない。しかし、古典主義は写実、印象派は色彩、フォーブは自由奔放、シュールは奇々怪々、抽象はわけ判らない、といった一般常識レベルの認識を以ってその本道を語ろうとするなら、その生みの親たる先達には誠に不本意なことであろう。
例えば「人間」が絵画芸術の大きなテーマであったことは事実である。しかし絵画とは、「モティーフとしての人物・人型」を描けば、すべからく「テーマとしての人間」を描いたということになるわけではないし、「モティーフとしての人物・人型」を描かなければ「テーマとしての人間」を表現できないというわけでもない。勿論常に人間をテーマとしなければならないということもない。要するに絵画芸術とは、そんな単純なものではないということも確かなのである。
以下別記事拙文を援用する。
≪英語で「個人」のことをindividualと言う。これはdivide(分ける)に否定冠詞inがついたものである。つまり、個人とは宇宙の最小・最終単位で「もうこれ以上分けられない」という意味であったはず。
ところがそうではなかった。躁鬱症、分裂症や多重人格など純粋な精神病理学的分野に限られず、もっと日常的なことで、人間は自分を自分でコントロールできないとか、自分で判らない自分があるとかいうことがある。そういうことがフロイトなどの精神分析などにより証明された。つまりさらに分けられるものであったのである。ここに無意識、潜在意識、夢、オートマティズムに着目したシュールレアリズム芸術が生まれた。≫
≪「アメリカンポップアート」における、A・ウォホールのポートレート。R・リキテンシュタインのコミック・ストリップ(漫画)、J・ジョーンズの星条旗、J・シーガルの人型…それらは本来の人間社会におけるそれらの意義や機能を剥ぎ取り、全く違う形相で芸術として現れている。そのことで見事にマスメデアやテクノロジーの発達で巨大にふくれあがった人間社会のド真中から裏返しに人間や芸術を浮かび上がらせている。
つまり従来の芸術は「精神」を詰め込まれ.「個」などという厄介なものをひきずり、泣いたり叫んだり右往左往する「人間」というものを中心に考えてきた。
しかしアメリカンポップは人間を人間の側からでなく、人間の属する.それ自体自立し増殖し、モンスターのように巨大化したは背景の中から捉える。人間すら金太郎飴のようであり、薄っぺらで大量生産大量消費される哀れなもとなる。≫
上記二例の、シュールリアリズムとアメリカンポップアート、いずれも直接的に「人間」を描いてないが、人間の表現に関して、美術史に残る、芸術として誠に力を有する「解釈の仕方」であった。前者は人間をさらに分析してしまい、後者は人間をそれを取り巻く外部から捉えたのである。
もう一つ例を挙げる。
≪…若い画家や洋画愛好家は二科へ二科へと参集し、特別陳列室には興奮の渦が巻き起こった。人々は驚嘆し、感嘆し、呆れかつまごつき、美の枢軸が狂ったかとさえ思った。私はその群れに混じって、若い娘がすすり泣くのを見た。…画家住谷磐根は、何か言おうとしたが、興奮のあまり言葉にならず、ただうわうわ口を動かしていた。…場外に出た若者たちが、三々五々かたまって、何かにつかれたように、腕を振り、髪を乱して、論じ合っているのが見えた。彼らは異常な感動を処理することが出来なかったのだ…私がここに書くことはけっして誇張ではなく、当時の情景をありのままに伝えているのである… (1926年第13回二科展から) (阪本勝著「佐伯祐三」(日動出版)より抜粋) ≫
何故佐伯の絵は、阪本の言によればそのような「画壇を震撼させた」ようなものであったのか?この時佐伯が二科に出品した作品は、第一次パリ滞在時の19点の風景画である。人物は点景すらもほとんど描かれていない。
この当時の日本は戦争、経済恐慌、大震災、結核など業病、ファシズムの台頭など「暗い時代の谷間」を背景に、誰もが死を当たり前のものとする存在の不安を抱えざるを得ない状況にあった。しかし佐伯はそういう時代を描いたわけではない。純粋に自我の造形性を希求しただけである。その結果として暗鬱で混濁した色彩、突き刺すようなフォルムが先き行き見えない不安と混沌の時代の人心と、そういう状況下における「絶望感」からくるある種の耽美主義に、その絵画がメッセージ・メディアとして力を持ったものであったということだろう。佐伯の絵は人間を描かなかったが、人間に訴える力を持っていたのである。
上記三例の逆を言うなら、古典絵画には多く「人物・人型」が描かれているが、その多くは人間や人間社会を描いたのではなく、「神の世界」がテーマなのである。このように絵画的価値とは作家の意図や画面上に現れる直接的な表現性や造形性のみで語られるものではない。
ところで、≪自分の創造」とは、創造の主体たる自我がその背負ってきた人生と絡めてどうで、その自我が位置づけられている時間・空間(現在・過去・未来、社会・国・世界・宇宙)への認識がどうで、その時空との関わり方がどうだから自分の創造行為はどうあるべきか、即ち、「自我の存在について自ら出す解答の形式」≫(別拙文引用)であるのでその形式は自由でありそれに類型はない。あるとしたらそれはただ「絵画」ということである。だからその解答は絵画という形式で出せばよい。画家誰しもが上記のような解答たる思想を持っているだろう。しかし絵画芸術が、それを常に直接的に出さなければならないものととしたら誠につまらないものばかりになってしまう。
「自己実現」、「自己表現」、「自己開発」等自己に纏わる創造の意義は諸々あるが「自己克服」もその意義の一つである。自己の造形的未熟を放置したまま思想を語たるのは恥であり、創造の前提に、事あるごとにそれを言語にしたら、逆に作品が安っぽくなる。こうしたことを知っていた先達は黙して作品に集中した。
確かに現下の、形やスタイルから入り、手練手管や「観念の遊び」、能書きに拘る一部類型には飽食気味で、現実を直視したシリアスなリアリズムにノスタルジーを感じるが、絵画芸術に関する幅ある認識と度量は失いたくないものである。
例えば「人間」が絵画芸術の大きなテーマであったことは事実である。しかし絵画とは、「モティーフとしての人物・人型」を描けば、すべからく「テーマとしての人間」を描いたということになるわけではないし、「モティーフとしての人物・人型」を描かなければ「テーマとしての人間」を表現できないというわけでもない。勿論常に人間をテーマとしなければならないということもない。要するに絵画芸術とは、そんな単純なものではないということも確かなのである。
以下別記事拙文を援用する。
≪英語で「個人」のことをindividualと言う。これはdivide(分ける)に否定冠詞inがついたものである。つまり、個人とは宇宙の最小・最終単位で「もうこれ以上分けられない」という意味であったはず。
ところがそうではなかった。躁鬱症、分裂症や多重人格など純粋な精神病理学的分野に限られず、もっと日常的なことで、人間は自分を自分でコントロールできないとか、自分で判らない自分があるとかいうことがある。そういうことがフロイトなどの精神分析などにより証明された。つまりさらに分けられるものであったのである。ここに無意識、潜在意識、夢、オートマティズムに着目したシュールレアリズム芸術が生まれた。≫
≪「アメリカンポップアート」における、A・ウォホールのポートレート。R・リキテンシュタインのコミック・ストリップ(漫画)、J・ジョーンズの星条旗、J・シーガルの人型…それらは本来の人間社会におけるそれらの意義や機能を剥ぎ取り、全く違う形相で芸術として現れている。そのことで見事にマスメデアやテクノロジーの発達で巨大にふくれあがった人間社会のド真中から裏返しに人間や芸術を浮かび上がらせている。
つまり従来の芸術は「精神」を詰め込まれ.「個」などという厄介なものをひきずり、泣いたり叫んだり右往左往する「人間」というものを中心に考えてきた。
しかしアメリカンポップは人間を人間の側からでなく、人間の属する.それ自体自立し増殖し、モンスターのように巨大化したは背景の中から捉える。人間すら金太郎飴のようであり、薄っぺらで大量生産大量消費される哀れなもとなる。≫
上記二例の、シュールリアリズムとアメリカンポップアート、いずれも直接的に「人間」を描いてないが、人間の表現に関して、美術史に残る、芸術として誠に力を有する「解釈の仕方」であった。前者は人間をさらに分析してしまい、後者は人間をそれを取り巻く外部から捉えたのである。
もう一つ例を挙げる。
≪…若い画家や洋画愛好家は二科へ二科へと参集し、特別陳列室には興奮の渦が巻き起こった。人々は驚嘆し、感嘆し、呆れかつまごつき、美の枢軸が狂ったかとさえ思った。私はその群れに混じって、若い娘がすすり泣くのを見た。…画家住谷磐根は、何か言おうとしたが、興奮のあまり言葉にならず、ただうわうわ口を動かしていた。…場外に出た若者たちが、三々五々かたまって、何かにつかれたように、腕を振り、髪を乱して、論じ合っているのが見えた。彼らは異常な感動を処理することが出来なかったのだ…私がここに書くことはけっして誇張ではなく、当時の情景をありのままに伝えているのである… (1926年第13回二科展から) (阪本勝著「佐伯祐三」(日動出版)より抜粋) ≫
何故佐伯の絵は、阪本の言によればそのような「画壇を震撼させた」ようなものであったのか?この時佐伯が二科に出品した作品は、第一次パリ滞在時の19点の風景画である。人物は点景すらもほとんど描かれていない。
この当時の日本は戦争、経済恐慌、大震災、結核など業病、ファシズムの台頭など「暗い時代の谷間」を背景に、誰もが死を当たり前のものとする存在の不安を抱えざるを得ない状況にあった。しかし佐伯はそういう時代を描いたわけではない。純粋に自我の造形性を希求しただけである。その結果として暗鬱で混濁した色彩、突き刺すようなフォルムが先き行き見えない不安と混沌の時代の人心と、そういう状況下における「絶望感」からくるある種の耽美主義に、その絵画がメッセージ・メディアとして力を持ったものであったということだろう。佐伯の絵は人間を描かなかったが、人間に訴える力を持っていたのである。
上記三例の逆を言うなら、古典絵画には多く「人物・人型」が描かれているが、その多くは人間や人間社会を描いたのではなく、「神の世界」がテーマなのである。このように絵画的価値とは作家の意図や画面上に現れる直接的な表現性や造形性のみで語られるものではない。
ところで、≪自分の創造」とは、創造の主体たる自我がその背負ってきた人生と絡めてどうで、その自我が位置づけられている時間・空間(現在・過去・未来、社会・国・世界・宇宙)への認識がどうで、その時空との関わり方がどうだから自分の創造行為はどうあるべきか、即ち、「自我の存在について自ら出す解答の形式」≫(別拙文引用)であるのでその形式は自由でありそれに類型はない。あるとしたらそれはただ「絵画」ということである。だからその解答は絵画という形式で出せばよい。画家誰しもが上記のような解答たる思想を持っているだろう。しかし絵画芸術が、それを常に直接的に出さなければならないものととしたら誠につまらないものばかりになってしまう。
「自己実現」、「自己表現」、「自己開発」等自己に纏わる創造の意義は諸々あるが「自己克服」もその意義の一つである。自己の造形的未熟を放置したまま思想を語たるのは恥であり、創造の前提に、事あるごとにそれを言語にしたら、逆に作品が安っぽくなる。こうしたことを知っていた先達は黙して作品に集中した。
確かに現下の、形やスタイルから入り、手練手管や「観念の遊び」、能書きに拘る一部類型には飽食気味で、現実を直視したシリアスなリアリズムにノスタルジーを感じるが、絵画芸術に関する幅ある認識と度量は失いたくないものである。