とても自慢話というわけにはいかないが、いろいろ経緯あって私は自分の父親の葬儀には参加しなかった。その私が数日前に亡くなった伯母の葬儀、それも遥かな彼方の九州で行われたそれには急遽列席したのである。この伯母、九州一円をカバーするある某医療関係の会社の社長で、戦後の大陸からの引揚者で相当苦労したようだが、ともかくも相当数の社員を擁するグループの総帥となった。
つまりこの伯母には相当世話になったのである。私が某デパートで初個展をやった時、一点も売れずにデパートや画商に恥をかくことになってはいけないし、後の取引もいろいろ支障があるといけないというので一番高いのを買ってくれた。因みに、私に直接言えば画料程度で買えるのであるが、(本当のことを言うと私もその方が「手取り」が多いのであるが。(小笑い)そういう趣旨もあり、わざわざ相当の画商取り分が上乗せされた高額なものを、身内とは知らせず買うのである。その後も受賞した際や、折々の機会のたび何点か買ってくれ、今では相当数の拙作がその家などにある。渡航の際も多額の餞別を送ってきたりしてくれた。件の父親はその弟でこれも相当迷惑や面倒をかけたようで、そのこともあり、今般の列席はせめてもの報恩の意味もあったのである。
その帰り、これも子供の時から相当世話になり、冠婚葬祭の折はわざわざ来京したり、年末には必ず木のみかん箱を届けてくれるような、母方の叔父夫婦のところまで足を伸ばした。
こう述べるといかにも我が画業が周辺のよい人間に支えられてあるように聞こえるがドッコイ、あとは地縁血縁、親類縁者、門閥学閥、知人友人、神社仏閣、魑魅魍魎、押しなべて無理解、非協力、能書きばかりで足を引っ張る奴らの方が多いのであるが、(大笑い)不義理や敵対には「三倍返し」で臨むか視界からの完全抹消で報いる主義なので、結果いつも私の周りはいつも良い人間ばかりなのである。(再び大笑い)
ともかくその叔父の近くに、本邦で有数のスケールで、「世界遺産」への登録を申請しているだかの「廃墟」がある。ここへ長いこと行ってみたかったが、今般念願かなって叔父と供に訪れた。廃墟は、風景画でも「青バラシリーズ」でも使える魅力のある造形モティーフで、是非モノにしたい。
ところで、日本人はノーベル賞だとか、ギネスだとか、オリンッピクや何かのワールドカップだとか、そういう権威のある形式を「馬鹿騒ぎ」するのが誠に好きなようである。 例えば世界遺産についても、世界にもっと素晴らしいものがあるのに、本当にそれだけの価値があるものかと疑念を持たせるようなものまで次から次に申請、登録をさせているのを見るにつけ、文化、スポーツなどのいくつかについても、「日本の経済力」ベースの発言権あったればこそのもので、早い話がその真の内容のわりには、世界的権威を「金で買う」と言うような印象を持つのである。
この廃墟についても、本来なら完全に除去して自然に帰すべきものを、無駄な金がかかるので放ったらかしたというものであり、後からその佇まいを怪我の功名気味に再評価していると言う趣のものであろう。したがって直ちにこの廃墟について世界遺産云々の「権威主義 」に組するつもりはないが、しかし、ともかくこれは美しい廃墟であった。
高度成長期の「兵どもが夢の跡」、往時のざわめきすら感じ、どこかの大都会のような、「生きた廃墟」よりはよほど魅力がある。
ともかく、万感ある旅となった。
つまりこの伯母には相当世話になったのである。私が某デパートで初個展をやった時、一点も売れずにデパートや画商に恥をかくことになってはいけないし、後の取引もいろいろ支障があるといけないというので一番高いのを買ってくれた。因みに、私に直接言えば画料程度で買えるのであるが、(本当のことを言うと私もその方が「手取り」が多いのであるが。(小笑い)そういう趣旨もあり、わざわざ相当の画商取り分が上乗せされた高額なものを、身内とは知らせず買うのである。その後も受賞した際や、折々の機会のたび何点か買ってくれ、今では相当数の拙作がその家などにある。渡航の際も多額の餞別を送ってきたりしてくれた。件の父親はその弟でこれも相当迷惑や面倒をかけたようで、そのこともあり、今般の列席はせめてもの報恩の意味もあったのである。
その帰り、これも子供の時から相当世話になり、冠婚葬祭の折はわざわざ来京したり、年末には必ず木のみかん箱を届けてくれるような、母方の叔父夫婦のところまで足を伸ばした。
こう述べるといかにも我が画業が周辺のよい人間に支えられてあるように聞こえるがドッコイ、あとは地縁血縁、親類縁者、門閥学閥、知人友人、神社仏閣、魑魅魍魎、押しなべて無理解、非協力、能書きばかりで足を引っ張る奴らの方が多いのであるが、(大笑い)不義理や敵対には「三倍返し」で臨むか視界からの完全抹消で報いる主義なので、結果いつも私の周りはいつも良い人間ばかりなのである。(再び大笑い)
ともかくその叔父の近くに、本邦で有数のスケールで、「世界遺産」への登録を申請しているだかの「廃墟」がある。ここへ長いこと行ってみたかったが、今般念願かなって叔父と供に訪れた。廃墟は、風景画でも「青バラシリーズ」でも使える魅力のある造形モティーフで、是非モノにしたい。
ところで、日本人はノーベル賞だとか、ギネスだとか、オリンッピクや何かのワールドカップだとか、そういう権威のある形式を「馬鹿騒ぎ」するのが誠に好きなようである。 例えば世界遺産についても、世界にもっと素晴らしいものがあるのに、本当にそれだけの価値があるものかと疑念を持たせるようなものまで次から次に申請、登録をさせているのを見るにつけ、文化、スポーツなどのいくつかについても、「日本の経済力」ベースの発言権あったればこそのもので、早い話がその真の内容のわりには、世界的権威を「金で買う」と言うような印象を持つのである。
この廃墟についても、本来なら完全に除去して自然に帰すべきものを、無駄な金がかかるので放ったらかしたというものであり、後からその佇まいを怪我の功名気味に再評価していると言う趣のものであろう。したがって直ちにこの廃墟について世界遺産云々の「権威主義 」に組するつもりはないが、しかし、ともかくこれは美しい廃墟であった。
高度成長期の「兵どもが夢の跡」、往時のざわめきすら感じ、どこかの大都会のような、「生きた廃墟」よりはよほど魅力がある。
ともかく、万感ある旅となった。