Ψ筆者作 画題未定 未完(完成度70%) F120 油彩(画像削除)

 抽象≪abstract≫、とは文字通りなら、形のないものからその「象」(かたち)を抽出する」と言うことである。当然引き出す以上は引出される対象があるはずであるが、それは必ずしも喜怒哀楽などの情念や思想などのような「人間絡みの表現主義的テーマ」に限られず、美だとかものの本質だとか、色や形の解釈や展開など、造形要素そのものがテーマになる場合もある。
 一方、造形行為それ自体に主眼が置かれ、それがどういうものであれ、何かから何かを引出すという概念自体を否定する、あるいは第一義に置かない造形性もある。これは引出されるべき対象が存在しない、あるいは前提としないと言う意味で「アンフォルメル」(非定形)などと呼ばれ、現実にそういう造形思想、運動もあった。
 ところで、セザンヌの以下の言葉は周知のところである。
≪自然は円筒、球形、円錐として取り扱われるべきで…総ては透視図法によって一点に集約されている。地平線に平行する線は広がりを与え…地平線に交差する垂直線は深さをもたらす…空気を表すだけの量の青と、赤や黄が代表する光の躍動の中にそれを再現するよう心がけるべきである…≫
 事実セザンヌのこの言葉を分水嶺として新しい造形傾向が始まり、それが現代美術にも繋がり、而してセザンヌは「現代絵画の父」とすら呼ばれるようになるわけだが、これこそが宇宙・自然から純粋な造形性を抽出するという「アブストラクト行為」であろう。当然これはアンフォルメルではない。
 そしてこの傾向の最大の意義は、有史以来初めて、移ろいやすく、胡散臭く、面倒臭い「人間」を芸術が乗り越えたということであろう。つまり、自然の原理にメスを入れるということにより、芸術は「宇宙レベル」にまで純化され得ると言うことを証明したのである。
 さて、上掲拙作は自然の描写というよりその背後にある造形性を引き出したいと言うことに主眼点がある。自然は美しい。描写しても抽出してもイメージしても汲めども尽きない魅力がある。人間からはストレスしか抽出されない。