Ψ筆者作 「森シリーズ」制作途上油彩 上よりF20,P10(画像削除)
昔研究所に通い始めた頃の話である。そこは美大受験では相当な実績のあるところで、講師陣も全員芸大の助手、院生格といったアカデミックな修行体系の権化のようなところだった。
子供の頃から多少なりとも絵については自信があるつもりでいたが、そこへ行ってそうした自尊心が粉々に打ち砕かれたような思いをしたのを今も鮮明に覚えている。みんな全く違った絵を描いていた。確かに美大へ合格するためには「コツ」のような類型のようなものがあるが、みんなそうしたことを知っていると言うこと自体が驚きであったが、無知の怖さ、遅いスタートを思い知らされたり、これでは貧乏人は美大にはいけない!などと感じたものである。因みに二浪、三浪はザラだった。
当時「ハレンチ学園」と言う漫画が流行っており、「ハレンチ」とは通常の「破廉恥」とは違う、何か特別な人目を引くような、必ずしも悪い意味のことだけを意味したものではなかったが、講師の一人が私の絵を見て「君は何か≪ハレンチ≫なものでも求めているのかい?」と皮肉っぽく言った。私にしてみれば「ハレンチ」どころか真っ当な「常識」な画法であり、アカデミックな技術の未熟はあるにしても、そういう軌道を逸したものとは思ってもいなかったが、同じような傾向の、私が「スゲェー上手い!」と思った生徒も「君は今までのことは全部忘れて良い、一度壊しなさい!」と言われていた。
しかし私はどうしてもみんなと同じような、色を沢山使い、木彫りの円空像のような裸婦など描けず、相変わらず暗めの、モノトーン風の「古典的」絵で、当然成績も良くなかった。
しかし研究所で学んだこと、とりわけアカデミックな造形的意義を身をもって知ったことは後年いろんな意味で財産となったと思う。とりわけ他者の絵を見る場合において、単なるアカデミズムを超えて、その描き手がどれほど「絵」を知っているかなどを判断するに決定的なものがあるように思う。
ともかくも、こうした「独善的」傾向は改まらなかった。というより改められなかった。改めると言うことは「自分でなくなる」ということであり、そこまでして描く絵になんの喜びや意義があろう。これは「頑固さ」と言うより持って生まれた「資質」というものでどうにもならない。
前にも書いたが、古典主義的傾向の絵は「オール オア ナッシング」である。印象派以降の色彩や「絵作り」でゴマカシが利かない。一部にでも破調があると全部ダメ。当然未熟さを伴うものは相応の冷や飯を食うことになる。曰く「硬い、暗い、色彩がない、活気が無い…」。しかしそうしたことを改めようとは少しも思わなかった。そう思われるのは一に係って自分が未熟だからである。古典を見ろ、「真っ黒」ではないか!その未熟さを克服することの方が先決だ。
誰でも好きな画家というものがある。そういう画家を目標として自分の作品傾向を近づけていく場合と、「結果的に」自分の資質に合った画家を好きになると言う場合がある。私の場合は後者だ。コローを知る以前からああいう緑を使っていた。だから抵抗なくコローに入っていけた。コローと言えども使われている色彩や構成法、描画法は在来のヨーロッパ古典主義風景画のそれを踏襲している。突然出てきたわけではない。そうしたものの中で自分独自の絵画世界を構築して行った。
印象派も実はそうなのだ。今目指しているのはそういう「自分の絵」である。
昔研究所に通い始めた頃の話である。そこは美大受験では相当な実績のあるところで、講師陣も全員芸大の助手、院生格といったアカデミックな修行体系の権化のようなところだった。
子供の頃から多少なりとも絵については自信があるつもりでいたが、そこへ行ってそうした自尊心が粉々に打ち砕かれたような思いをしたのを今も鮮明に覚えている。みんな全く違った絵を描いていた。確かに美大へ合格するためには「コツ」のような類型のようなものがあるが、みんなそうしたことを知っていると言うこと自体が驚きであったが、無知の怖さ、遅いスタートを思い知らされたり、これでは貧乏人は美大にはいけない!などと感じたものである。因みに二浪、三浪はザラだった。
当時「ハレンチ学園」と言う漫画が流行っており、「ハレンチ」とは通常の「破廉恥」とは違う、何か特別な人目を引くような、必ずしも悪い意味のことだけを意味したものではなかったが、講師の一人が私の絵を見て「君は何か≪ハレンチ≫なものでも求めているのかい?」と皮肉っぽく言った。私にしてみれば「ハレンチ」どころか真っ当な「常識」な画法であり、アカデミックな技術の未熟はあるにしても、そういう軌道を逸したものとは思ってもいなかったが、同じような傾向の、私が「スゲェー上手い!」と思った生徒も「君は今までのことは全部忘れて良い、一度壊しなさい!」と言われていた。
しかし私はどうしてもみんなと同じような、色を沢山使い、木彫りの円空像のような裸婦など描けず、相変わらず暗めの、モノトーン風の「古典的」絵で、当然成績も良くなかった。
しかし研究所で学んだこと、とりわけアカデミックな造形的意義を身をもって知ったことは後年いろんな意味で財産となったと思う。とりわけ他者の絵を見る場合において、単なるアカデミズムを超えて、その描き手がどれほど「絵」を知っているかなどを判断するに決定的なものがあるように思う。
ともかくも、こうした「独善的」傾向は改まらなかった。というより改められなかった。改めると言うことは「自分でなくなる」ということであり、そこまでして描く絵になんの喜びや意義があろう。これは「頑固さ」と言うより持って生まれた「資質」というものでどうにもならない。
前にも書いたが、古典主義的傾向の絵は「オール オア ナッシング」である。印象派以降の色彩や「絵作り」でゴマカシが利かない。一部にでも破調があると全部ダメ。当然未熟さを伴うものは相応の冷や飯を食うことになる。曰く「硬い、暗い、色彩がない、活気が無い…」。しかしそうしたことを改めようとは少しも思わなかった。そう思われるのは一に係って自分が未熟だからである。古典を見ろ、「真っ黒」ではないか!その未熟さを克服することの方が先決だ。
誰でも好きな画家というものがある。そういう画家を目標として自分の作品傾向を近づけていく場合と、「結果的に」自分の資質に合った画家を好きになると言う場合がある。私の場合は後者だ。コローを知る以前からああいう緑を使っていた。だから抵抗なくコローに入っていけた。コローと言えども使われている色彩や構成法、描画法は在来のヨーロッパ古典主義風景画のそれを踏襲している。突然出てきたわけではない。そうしたものの中で自分独自の絵画世界を構築して行った。
印象派も実はそうなのだ。今目指しているのはそういう「自分の絵」である。