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Ψ筆者模写 佐伯祐三作「広告」F12油彩

いつも細かな作業を伴う絵を描いていると、たまには委細かまわない、思い切って絵筆を走らせられるような絵を描きたくなる。それと余った絵の具を捨てるのはもったいない、処理に困る古キャンバスもある。私の場合、こうしたことを一挙に解決するのが「模写」である。
 通常「模写」とはアカデミズの修練を目的として、フォルムやトーン の捉え方の訓練、あるいは具体的な技法について「追体験」をし、それを本来の自分の画法に生かす、等を目的として行う。言い換えれば模写とはあくまでも「他人の絵」、「自己主張」は何も始まらないということは言うまでもない。
 今までゴッホ、コロー、ルオー、佐伯などを模写したことがある。ただ自分の画法に生かすという意味の意義はコロー以外はあまりない。ルオーや佐伯のような細部描写の「転写」が不可能のような絵は「造形性」あるいは「雰囲気」の模写ということになる。
 ともかくこれは楽しい。油絵マティエールのすばらしさや汲めども尽きないを技術的展開の可能性を確認できるし、前述したような意味の「ストレス解消」にもなる。
 それとこれは以前から思っていたことだが、特に佐伯などの絵から、絵とは本来「描くもの」であるという絵の原点を改めて思い知らされることがある。つまり絵描きとは「絵描き」であって「絵作り職人」ではないのである。
 美術史上に永くとどめられている絵とは、コローしかりゴッホしかり、ユトリロしかり、佐伯しかり全て「描く絵」だ。他方時代に迎合し流行を追い求め、形やスタイルから入るような「ハッタリ絵画」は時代とともに消えている。これはやはり絵における「自我の在り様」にかかわってくる問題であろう。最近「描いた絵」の名作にお目にかかることが少ないように思う。