イメージ 1

イメージ 2

Ψ 上ピメノフ「待つ」40×60油彩 
  下レピーチン「暖かな日」190×132油彩

 別記事で「リアリズム」に関し、ロシア・旧ソ連の風景画家の話をしたが、他にも新鮮な造形性や驚くべき技巧の画家は沢山いる。勿論「アカデミー」などを通じた体制管理的な画壇や政治主義的プロパガンダ傾向など直ちに受け入れ難いものもあるが、逆にそうしたものに拘泥し過ぎれば事の本質を見落とすことになり評価すべきものは全うに評価すべきであろう。その「リアリズム」は、例えばカラー写真を貼り付けたような軽薄なハイパー系のような、思わず「欧米か!!」と言いたくなるようなものはほとんどなく、油彩の重厚なマティエールを生かした、骨太の造形性で肉付けされたものが多い。

 上記二点は旧ソ連の作家作品。このような造形性はめったにお目にかかれない。いずれも何の気負いもなく、ほんのわずかな日常性の一瞬を切り取り、その小さな「切り口」から我々の存在や人生などの深遠な部分に切り込もうとしているとさえ感じる。形やスタイルから入り大風呂敷を広げるわりには底の浅い何処かしら辺にある傾向とは逆だ。
 ピメネフのはやや文学的に傾斜し過ぎのきらいあるが、電話器とガラス窓の雨露だけで総てを語っている。こういう発想自体そうは思いつくものではないがそれを絵にするということは更に難しい。
 レピーチンのはその半端でない描写力をベースとしてのメリハリの効いた巧みな構成力、簡単な絵のようだがこれほど「強い絵」を描ける画家はそういないだろう。

  ところで、例えば私の親戚筋のバレエ団などでもそうだが、バレエ団でチャイコフスキーの「くるみ割り人形」をやらないところはない。本邦映画界の草創期のプロ中のプロの監督でエイゼンシュテインの「モンタージュ」を通過してない監督はいないだろう。ロシア文学やチェーホフなどそれをベースの演劇は言うに及ばない。エルミタージュはルーブルと双璧。
 事ほど左様にロシア・旧ソ連・東欧はもう一つの素晴らしい芸術・文化圏なのである。

 ところが本邦は日露戦争から二つの世界大戦体制、及び戦後の対アメリカ一辺倒の国策等歴史的経緯もあって、ロシア・ソ連、東欧圏の文化・芸術については及び腰、情報量や価値体系の流入は格段に少なかったのは紛れもない事実。のみならず自由主義に対立する忌まわしいものという図式や、芸術家個人もことさら「反体制」や亡命などの側面を強調するなどかなり政治主義的な歪曲により、その価値の本質をまともに捉えて来たとは言いがたい所が多多あった。そういう考え方が誤りであったことは上記の絵を見れば明らかだろう。日本人は何人のロシアの画家の名前を知っているだろうか?

 もう一つ、本邦の教科書的美術史教育では≪平面芸術≫の歴史はジョットやマルティーニなどのゴシック辺りから始まり、それ以前となるといきなりラスコーやアルタミラの洞窟画までいってしまうが、それ以前にビザンチン文化の中枢にイコンという平面芸術が厳然とあったのである。正確にはもっと前からであるが。
 このイコンはいろいろ重要な美術史上の意義があるにも拘らずそれを知る人は少ない。
 因みにこの辺のわずかな東方芸術との繋がりを探せば、イコンの受け皿である東方正教会は御茶ノ水のニコライ堂や函館の聖ハリストス教会などあるが、本格的イコン作家となると私は山下りん位しか知らない。
 また「月光荘」という唯一の東欧美術専門の画廊が銀座にあった。因みにここの経営者はピアニスト中村紘子の母堂の故中村曜子。彼女は私も持っているが「美術史からみたイコン」という著作もあり、東欧美術の紹介に尽力した。

 何につけても世論誘導や一面的情報操作に踊らされたくないものである。

※おしらせ
「クリスマスの青い薔薇」と「赤いバラシリーズ」は ≪ギャラリー「青い薔薇」・資料室≫に移動しました。