勝負の世界は強ければ良いというものでしょうが、例えば将棋の世界で言うとコンピューター世代の天才的「オタク坊や」より、「千日手」さえ知らなかったという阪田三吉の破調ある人生を引きずったようなところとか升田幸三のようないかにも勝負師のような風貌に、それなりの魅力を感じます。ここは上手ければよい、売れればよいと言うものでない絵画の世界に通じるものがあります。
話はちょっとそれますが、東大紛争は医学部が発端と聞いてますし、当事者であるorionさんは真摯にが関わっていたと思いますが、私の学生運動全体から受けたものは、その後の連合赤軍とか内ゲバ殺人のような愚かしい側面がある一方、収まるところへ収まって広告業界かなんかで資本主義のお先棒を担いでいる者多々あり、時に商業主義や社会風俗と結びついて語られたり、あれはなんだったのかという思いです。
しかし私内部にもどこかアナーキーなものがあり、生来のひねくれ根性もあり、その受け皿となったものは「アウトロー」とか「異端」と言われるものでした。
将棋の世界に話を戻せば「真剣士」というのをご存知でしょうか?
http://www.geocities.jp/yrc_directory/book/bk046.html
小池重明という、大山名人にも勝ったとかいう在野の最強のアマというのがいました。彼はその気になったらプロとしてそれなりの実績を残せた人だと思いますが、何某かの不器用さか人格的脆弱さか件の人生を送った人です。
因みに私の将棋の腕は「柿木将棋」のレベル3とどっこいどっこいです。
それからその後天才的フリージャズプレイヤーと言われたの阿部薫を知りました。彼も早世するわけですが、彼と同棲し彼の死後自殺した鈴木いずみという女性は、私の記憶では「噛み刺しのチューイングガム」のようと大江健三郎から評されたことのある作家です。因みに私はこの女性のことはそれ以前から知っていて、友人から誘われて無理やり連れて行かれて観た(この辺は強調しておく!)「ピンク映画」でポルノ女優もやってました。
この二人についてはやはり映画界のアウトロー若松孝二が映画にしてます。
前回出た「兵隊やくざ」も軍律厳しい世界の異端児の話ですが、先の阪田三吉の「王将」、「無法松の一生』の富島松五郎などもアウトロー的描写と言えます。
他に文学の世界は数知れず、画家では長谷川利行というとこでしょうか。 そもそもゴッホなどはセザンヌからさえ「〇チ〇イの描くような絵」と言われ、ゴーギャンからは「俺より可哀そうな奴」と言われたとか、印象派のそれなりに洗練されたものに比べれば異端中の異端ということになりそうです。古典派にはカラヴァッジョなどもいましたね。不可解な逆文字のダビンチは同性愛者だったそうですし。
等々考えれば異端とかアウトローというのは洋の東西を問わず居て、そう生きられない者のある種の憧憬にも似た価値体系としてそれぞれの芸術分野にあるようで、私も先に述べた通り少なからず憧れるものであります。しかし忘れてならないのは、引用サイトにも書いてましたが、アウトロー・異端として生きるには半端でない力量と「野垂れ死」のリスクさえを受け止めなければばらない覚悟がいるということで、私はその両方ともについての燻りを引きずったまま今日に至っている次第であります。
ただ「惚れた腫れた、くっついた離れた」の男女関係より無法松・富島松五郎の「おっさんの純愛」の方に魅力を感じる潔さ(!?)はありますが。
話はちょっとそれますが、東大紛争は医学部が発端と聞いてますし、当事者であるorionさんは真摯にが関わっていたと思いますが、私の学生運動全体から受けたものは、その後の連合赤軍とか内ゲバ殺人のような愚かしい側面がある一方、収まるところへ収まって広告業界かなんかで資本主義のお先棒を担いでいる者多々あり、時に商業主義や社会風俗と結びついて語られたり、あれはなんだったのかという思いです。
しかし私内部にもどこかアナーキーなものがあり、生来のひねくれ根性もあり、その受け皿となったものは「アウトロー」とか「異端」と言われるものでした。
将棋の世界に話を戻せば「真剣士」というのをご存知でしょうか?
http://www.geocities.jp/yrc_directory/book/bk046.html
小池重明という、大山名人にも勝ったとかいう在野の最強のアマというのがいました。彼はその気になったらプロとしてそれなりの実績を残せた人だと思いますが、何某かの不器用さか人格的脆弱さか件の人生を送った人です。
因みに私の将棋の腕は「柿木将棋」のレベル3とどっこいどっこいです。
それからその後天才的フリージャズプレイヤーと言われたの阿部薫を知りました。彼も早世するわけですが、彼と同棲し彼の死後自殺した鈴木いずみという女性は、私の記憶では「噛み刺しのチューイングガム」のようと大江健三郎から評されたことのある作家です。因みに私はこの女性のことはそれ以前から知っていて、友人から誘われて無理やり連れて行かれて観た(この辺は強調しておく!)「ピンク映画」でポルノ女優もやってました。
この二人についてはやはり映画界のアウトロー若松孝二が映画にしてます。
前回出た「兵隊やくざ」も軍律厳しい世界の異端児の話ですが、先の阪田三吉の「王将」、「無法松の一生』の富島松五郎などもアウトロー的描写と言えます。
他に文学の世界は数知れず、画家では長谷川利行というとこでしょうか。 そもそもゴッホなどはセザンヌからさえ「〇チ〇イの描くような絵」と言われ、ゴーギャンからは「俺より可哀そうな奴」と言われたとか、印象派のそれなりに洗練されたものに比べれば異端中の異端ということになりそうです。古典派にはカラヴァッジョなどもいましたね。不可解な逆文字のダビンチは同性愛者だったそうですし。
等々考えれば異端とかアウトローというのは洋の東西を問わず居て、そう生きられない者のある種の憧憬にも似た価値体系としてそれぞれの芸術分野にあるようで、私も先に述べた通り少なからず憧れるものであります。しかし忘れてならないのは、引用サイトにも書いてましたが、アウトロー・異端として生きるには半端でない力量と「野垂れ死」のリスクさえを受け止めなければばらない覚悟がいるということで、私はその両方ともについての燻りを引きずったまま今日に至っている次第であります。
ただ「惚れた腫れた、くっついた離れた」の男女関係より無法松・富島松五郎の「おっさんの純愛」の方に魅力を感じる潔さ(!?)はありますが。