長々とボクシングのことを述べたが、趣旨はボクシングを一例に、ボクシング、スポーツに留まらない、あらゆる分野に共通する現在の「日本の文化」の問題点を考察してみたいというところにある。
 スポーツも何某かの「価値」を希求するという意味で「文化」に違いないが、「亀田」は縷縷のべた背景事情から「つくられたマスコミ文化価値」と言える。
 この「マスコミ文化価値」の特徴とは、商業主義、人畜無害、センセーショナリズム、覗き見主義、スケジュール主義、スローガン主義、刹那主義等。このためことの本質や問題点が冷静に、深く考察されたり、真実を希求るという姿勢が最初っから欠落しているということだ。
 実はこれはスポーツに限らず、文化、国際政治・国内政治・経済等の扱いにも共通しいる。もしエスタブリッシュが「大衆はバカのままにしておいた方が扱いやすい」という「衆愚政策」を意図して、情報操作や世論誘導を目論んだとしたらそのメカニズムはまさに好都合ということになる。
 
 日本が経済力をつければ発言力も大きくなる。なんだかんだ言っても金の力は世界共通だ。今度のジャッジが「一服盛られた」とは言わないが、何某かの利害で日本寄りのジャッジをした可能性をその結果から推定せざるを得ない。この世界タイトルマッチもそうだが、先のサッカーWカップ、オリンピックなどスポーツの世界、世界遺産登録運動など文化の世界、国連安保常任理事国入り運動など政治の世界、これらが声高に世界に向かって吹聴するほどは中身は伴っているのだろうか?頭に血が上ってレベルや周辺事情への冷静な考察なければ、結局は「ダメ元」の「金で≪世界≫を買う運動」ということになろう。

 オリンピックやWカップサッカーはその実体を曝け出した。世界遺産にふさわしいものなど「原爆ドーム」を除いて他にあるだろうか?すくなくてもあの程度の「遺産」なら私の知る限り世界にゴマンとある。それに見合う理念や環境保護政策や文化事業があるのだろうか?
 対米追従の主体性のない外交しかしない国が常任理事国になるなど世界が大迷惑だ。
 マスコミ文化価値と国策としての情報操作、世論誘導の深い相関関係、因果関係をみる。

 さて、CSのある放送で姜尚中東大教授が「メディアは(情報提供に当り)ヒートアップ、クールダウンを繰り返す、その行き着く先は(受け手)のニヒリズムである」と言うような趣旨を述べていた。 これは我が意を得たりの感あった。都合が良いのでこれを折りに触れ援用して自論を展開させたい。このニヒリズムこそ体制の「自動安定装置」に他ならない。

 即ち、マスメディアは先ず大衆の耳目を集めるような、センセーショナルでニュースヴァリューのある情報を提供しヒートアップさせる。しだいにクールダウンした頃別の情報でヒートアップさせるその繰り返し。そこで言えることはメディアは帰結内容の如何に関わらずその過程で確実に利益を上げるということである。視聴率の上昇、スポンサーが付く、新聞雑誌は売り上げを伸ばす。つまり「商業主義」ある。だからメデイアはこれを繰り返す。メディアはそれで十分なのである。大衆がその敷いたレールや指し示す方向に従わなければならない義務はないがそのエネルギーの強さに圧倒されるのである。

 姜は「三浦事件」からサッカーWカップあたりまでを挙げていたが、最近「打ち上げられた花火」をランダムに列挙する。ムネオハウス、小泉パフォーマンス・郵政民営化、球界再編騒動、ホリエモン・村上ファンド、アネハ・耐震偽装問題、、女子フィギュア・冬季五輪、サッカーワールドカップ、北朝鮮・金正日・テポドン、子殺し・親殺し、亀田親子・世界戦、靖国参拝…これらの情報が連日各メディアからこれでもかとばかりに放出された。これらはまともなニュースとして報じられる一方「おとーさんのためのワイドショー」ネタであったことも事実。そして私には他のニュースと合わせ、オッサンたちがマイクの前で並ん立って何かしきりに謝っている「セレモニー」以外にほとんど何も残ってない!いずもれも事の本質がぼかされたり、すり変えられたり、隠蔽されたりしているとしか思えない。

 現象的なインパクトでことの本質を隠す、すり替えるということについて、中東問題やアメリカの世界戦略、朝鮮問題、テロの問題などシビアな問題についてもあったがこれは別項でも述べたし長くなるのでここでは割愛する。
 一つだけ例をあげる。1971年当時の「沖縄返還」をめぐり日米間に「密約」があったとする当時の毎日新聞・西山太吉記者のスクープ記事である。
 返還に伴い日本はアメリカに3億2000万ドルを払うが、一方、アメリカ基地は農地等を接収したものなのでこの原状回復費用として400万ドルを逆に日本に支払うという協定があった。実務上のあるいは帳簿上の処理に関わらず、早い話がこのアメリカ負担分の原状回復費は日本が肩代わりするので払わなくて良いという内容の密約が日米間にあり、かつその通りになったということである。

 決定的なのはこの密約の存在をアメリカ公文書館にある外交文書と当時の外務省アメリカ局長吉野文夫の両折衝事務当事者が認めているということである。吉野が認めたのはつい最近。この内容自体は、日米安保の質が「日本防衛」から「アメリカの世界戦略基地化」へと変わっていったこと、それに関して基地移転費用3兆円の巨費の負担をすること、「9条改定」など、今日でも今後にも関係する重要な問題であるが、もう一つ重大な問題がある。
 この信憑性云々を超えた事実を現在も日本政府は認めていない。ということは当時の佐藤栄作から今日の小泉、安倍に至るまで、国のカネをいいように遣って行った言わば「買国行為」的事実につき、事実を知らせず、ウソをつき通したということになり、これはこの国の「民主主義」の根幹に関わることであろう。

 それどころか逆に、本来国民の利益に適うべきその報道行為自体に、守秘義務に係る国家公務員法違反を適用、優先させ、西山記者と外務事務官の女性を逮捕したのである。当時のマスコミもそのニュースソース取得の経緯に係るスキャンダリズムの方に目が向くような報道に移った。
 西山元記者は密約が確かに存在したという先ごろの「吉野告白」を受け、現在国を相手に損害賠償請求訴訟を起こしている。西山を囲んだ別番組で出席者全員がどうしてこんな重大な事実がもっと報道されないんだろう!と疑問を投げかけていた。折しもWカップサッカーをめぐる「バカ騒ぎ」が始まった頃だ。誠に迷惑な話である。これがことの本質の隠蔽とすり替えの一例と言えるものだ。

 先の放送で同じ出席者の評論家佐高信が例を挙げていた。ある日の朝日新聞を見てこれはスポーツ新聞ではないかと驚いたという。一面トップに「中田引退!」とあったという。これは私も見た。他に一面トップで「イチローがどうした」とか言うのも見た。私の場合驚いたというより笑ってしまった。中田引退はある人種にとっては大事件だろうが天下国家に何の関係がある!もっと報道すべきことは沢山あるはず。それが朝日のような大新聞にしてこの有様。
 これはメディア自体が情報の価値体系を喪失していることの現われだ。物事の優先順をヒート・ヴァリューに置いているだけのこと。
(つづく)