去る8月2日、亀田興毅というボクサーの試合が行われた。試合そのものは私の「一方の」予想通りの結果に終わった。一方のとは、まともなものなら亀田のKO負け、「八百長」ならスピリットか僅差で亀田の勝ち。結果は後者に終わった。
これは私の偏見ではない。その印象は素直にその後TBSに寄せられた6万件余の抗議電話やメールがにも現れている。普通抗議電話等が数十本かかってもそれは制作サイドにとっては大問題であるのにこの数は尋常ではない。抗議の内容は冗漫な番組編成や判定への疑義というよりもっと別のところにあるような気がする。その見え見えの「興業政策」に、流石に「バカにするんじゃない、いい加減にしろ!」ということではなかったか?
とにかく亀田をめぐるこれまでの経緯はひどかった。一族郎党込みのドラマ仕立て、試合でのやり過ぎの演出、胡散臭いマッチメイキング、話題性の煽動…、その成果あって視聴率は40だか50だか。先のサッカーワールドカップのようにボクシングの「ボ」の字もしらないような小娘までもがピーピーキャーキャーと。そしてその結果!
その前に私がボクシングに関して単に冷めたミーハー感覚でものを言っているのではないということをちょっと述べておかなければならない。私は真のボクシングファンを自認する。
戦後白井義男がダド・マリノを破り日本人として初めて世界チャンピオンになった。まだこの辺は知らない。そのあと1962年にファイティング・原田が世界チャンピオンになるまでの約8年間それは実に厚い壁だった。まだ国自体が「高度成長」途上で今のようなTV局などのスポンサーもつかない、マッチメイキングや試合誘致の力もない、したがって数少ない挑戦のチャンスに、矢尾板貞夫(フジTV解説者)、米倉健二(現ヨネクラジム会長・柴田国明、ガッツ石松ら)高山一夫、小坂照夫、野口恭、関光徳(現横浜光ジム会長・畑山隆則、新井田豊ら)等か知る人ぞ知る実力者中の実力者をぶつけたが、敵地での挑戦でホームタウンデジッションに泣かされることも含めことごとく跳ね返されてきた。それ以前のボクサーは世界挑戦の機会すらなかったようだ。
そういう中でF・原田がポーン・キングピッチ(タイ)を11ラウンドKOで破り世界タイトルを取った試合は亀田どころではない白黒テレビの視聴率60%、日本中がそのハラダ・ラッシュの時は腰を浮かした。
因みに原田関係のエピソードを紹介すると、斉藤清作と言う日本のチャンピオンになった男がいた。これが最初世界に挑戦する話があったが、同じ笹崎ジムに二十数連勝中のスター原田がいたため斉藤は挑戦権を原田に譲り、自らは当時全盛の「脱線トリオ」の由利徹の弟子となりコメディアンとなった。これが後年の「たこ八郎」で「パンチドランク」の後遺症かアルコール依存症か後に水死する。
また原田、海老原博幸とともに「軽量級三羽ガラス」と言われ、サウスポーの天才ボクサーと言われた青木勝利は、三羽烏のなかではひとりだけ世界チャンピオンになれず、世界タイトル挑戦にKO負けした後身をもち崩し、、再三無銭飲食で逮捕され、酒に溺れ早世した。因みに海老原も酒のせいか後に肝臓病で死亡。
原田はその後日本ボクシング協会の会長となり現在に至っている。この間「袴田事件」というのがあった。元日本ランカー袴田巌が強盗殺人で死刑判決を受けたのだが、これが実は冤罪。帝銀事件のテンペラ画家平沢貞通と同じく、権力は「社会的弱者)を狙い撃ちするらしい。原田は輪島功一などボクシング関係者と供にリング上からこの事件の再審を訴えたりした。
大場政夫の事故死などと供にこの辺はボクシングに漂うある種の悲壮感を語るもの。
ともあれ、その後日本が経済力をつけるにしたがって、特定ボクサーがTV局の系列下に入り、世界タイトルマッチが番組編成上の有力スポーツ番組となったのはいいが、挑戦が「スケジュール化」され、肝心の挑戦者としての実力が未だ備わっていない者まで「使い捨て」のごとく引っ張り出され、中にはその「時期尚早」のため折角の世界チャンピオンになる素質の芽を摘まれてしまった者もいたようだ。
つまり、本来の純粋なスポーツとしての中身や過程の意義を二の次にし、形から入って手っとり早く結果だけを求めるという、だんだん胡散臭い「スポーツ・ショ―化」していったのである。因みに亀田と同じく10戦に満たないキャリアで世界に挑戦したのに辰吉丈一郎がいる。亀田はTBS系辰吉NTV系。供に最初から「子飼いのスター」と決められていた。
(つづく)
これは私の偏見ではない。その印象は素直にその後TBSに寄せられた6万件余の抗議電話やメールがにも現れている。普通抗議電話等が数十本かかってもそれは制作サイドにとっては大問題であるのにこの数は尋常ではない。抗議の内容は冗漫な番組編成や判定への疑義というよりもっと別のところにあるような気がする。その見え見えの「興業政策」に、流石に「バカにするんじゃない、いい加減にしろ!」ということではなかったか?
とにかく亀田をめぐるこれまでの経緯はひどかった。一族郎党込みのドラマ仕立て、試合でのやり過ぎの演出、胡散臭いマッチメイキング、話題性の煽動…、その成果あって視聴率は40だか50だか。先のサッカーワールドカップのようにボクシングの「ボ」の字もしらないような小娘までもがピーピーキャーキャーと。そしてその結果!
その前に私がボクシングに関して単に冷めたミーハー感覚でものを言っているのではないということをちょっと述べておかなければならない。私は真のボクシングファンを自認する。
戦後白井義男がダド・マリノを破り日本人として初めて世界チャンピオンになった。まだこの辺は知らない。そのあと1962年にファイティング・原田が世界チャンピオンになるまでの約8年間それは実に厚い壁だった。まだ国自体が「高度成長」途上で今のようなTV局などのスポンサーもつかない、マッチメイキングや試合誘致の力もない、したがって数少ない挑戦のチャンスに、矢尾板貞夫(フジTV解説者)、米倉健二(現ヨネクラジム会長・柴田国明、ガッツ石松ら)高山一夫、小坂照夫、野口恭、関光徳(現横浜光ジム会長・畑山隆則、新井田豊ら)等か知る人ぞ知る実力者中の実力者をぶつけたが、敵地での挑戦でホームタウンデジッションに泣かされることも含めことごとく跳ね返されてきた。それ以前のボクサーは世界挑戦の機会すらなかったようだ。
そういう中でF・原田がポーン・キングピッチ(タイ)を11ラウンドKOで破り世界タイトルを取った試合は亀田どころではない白黒テレビの視聴率60%、日本中がそのハラダ・ラッシュの時は腰を浮かした。
因みに原田関係のエピソードを紹介すると、斉藤清作と言う日本のチャンピオンになった男がいた。これが最初世界に挑戦する話があったが、同じ笹崎ジムに二十数連勝中のスター原田がいたため斉藤は挑戦権を原田に譲り、自らは当時全盛の「脱線トリオ」の由利徹の弟子となりコメディアンとなった。これが後年の「たこ八郎」で「パンチドランク」の後遺症かアルコール依存症か後に水死する。
また原田、海老原博幸とともに「軽量級三羽ガラス」と言われ、サウスポーの天才ボクサーと言われた青木勝利は、三羽烏のなかではひとりだけ世界チャンピオンになれず、世界タイトル挑戦にKO負けした後身をもち崩し、、再三無銭飲食で逮捕され、酒に溺れ早世した。因みに海老原も酒のせいか後に肝臓病で死亡。
原田はその後日本ボクシング協会の会長となり現在に至っている。この間「袴田事件」というのがあった。元日本ランカー袴田巌が強盗殺人で死刑判決を受けたのだが、これが実は冤罪。帝銀事件のテンペラ画家平沢貞通と同じく、権力は「社会的弱者)を狙い撃ちするらしい。原田は輪島功一などボクシング関係者と供にリング上からこの事件の再審を訴えたりした。
大場政夫の事故死などと供にこの辺はボクシングに漂うある種の悲壮感を語るもの。
ともあれ、その後日本が経済力をつけるにしたがって、特定ボクサーがTV局の系列下に入り、世界タイトルマッチが番組編成上の有力スポーツ番組となったのはいいが、挑戦が「スケジュール化」され、肝心の挑戦者としての実力が未だ備わっていない者まで「使い捨て」のごとく引っ張り出され、中にはその「時期尚早」のため折角の世界チャンピオンになる素質の芽を摘まれてしまった者もいたようだ。
つまり、本来の純粋なスポーツとしての中身や過程の意義を二の次にし、形から入って手っとり早く結果だけを求めるという、だんだん胡散臭い「スポーツ・ショ―化」していったのである。因みに亀田と同じく10戦に満たないキャリアで世界に挑戦したのに辰吉丈一郎がいる。亀田はTBS系辰吉NTV系。供に最初から「子飼いのスター」と決められていた。
(つづく)