私はそれを[個人主義]と[文化的伝統」が関係するのではないかと一応考えてみました。
よく言われることですが欧米人は「個人主義」が強い。とりわけヨーロッパはその伝統やプライドと絡みそれが強いようです。日本人のように偏狭な島国根性的枠組みの中にあらゆる価値観を押し込んだり、因習や集団性の中に自我の安住の地を見出そうとしたり、曖昧さや事勿れ主義に逃げ込んだりしない反面、冷たい、義理人情が通用しない、実力主義など合理精神が支配的。
またそれに加え、ヨーロッパの芸術文化に触れた時、そのあまりのスケールと奥行きの深さに圧倒され、それに比しての自我の余りの未熟さと矮小さや自国の貧弱で泥臭い文化にカルチャーショックを受けると言う場合もある。とりわけこれは絵画に限ったことではないが何某かの文化芸術に携わる者や感受性の強い者ほどその感慨は強いかもしれない。言い換えるとその意味では最初っから何も無いあるいは適当に「鈍感」の方が良いのかもしれませんが。
前者については、現にあることですが現地で日本人社会を作ることである程度克服できるでしょう。そのコミニュテーがあれば少なくても孤独感や疎外感からは開放されます。しかし当時は若い画家などが、今ではあまり意味のない「ハク付け」の為せっせとの渡航していた頃だし、むしろ今より日本人同士の結びつきは強かったし、佐伯もそういう意味では十分に一族郎党、地縁、血縁、門閥、学閥あらゆる人脈にめぐまれていたのでその意味では問題は考えられません。むしろ諸人間関係の煩わしさなど逆作用すら考えられます。
後者についてはやはり自我の内部に何某かの思想や受け皿になるような根拠を準備する必要があるように思います
佐伯の先輩の高村光太郎は、再三引用して恐縮ですが以下の詩に見られるような、当地の芸術文化に対峙するに当たってのそういうものがかなり強固に確立されていたようです。
「パリ」高村光太郎
私はパリで大人になった。
はじめて異性に触れたのもパリ。
はじめて魂の解放を得たのもパリ。
パリは珍しくもないような顔をして
人類のどんな種族をも受け入れる。
思考のどんな系譜をも拒まない。
美のどんな異質をも枯らさない。
良も不良も新も奮も低いも高いも、
凡そ人間の範疇にあるものは同居させ、
パリの魅力は人をつかむ。
人はパリで息がつける。
近代はパリで起こり、
美はパリで醇熟し萌芽し、
頭脳の新細胞はパリで生まれる。
フランスがフランスを越えて存在する
この底無しの世界の都の一隅にゐて、
私は時に国籍を忘れた。
故郷は遠く小さくけちくさく、
うるさい田舎のやうだった。
私はパリではじめて彫刻を悟り
詩の真実に開眼され、
そこの庶民の一人一人に
文化のいはれをみてとった。
悲しい思いで是非もなく、
比べやうもない落差を感じた。
日本の事物国柄の一切を
なつかしみながら否定した。
反面小出楢重は「全面否定」で日本に帰る、「俗物」フジタはモンパルナスで遊び呆けていたし、荻須は長い時間をかけ吸収していった。佐伯にそうした「徹する」というところはあったのでしょうか?
何か総てに半端で人の良い、優柔不断なところが有り、気まじめさが災いしたように思えます。たまには米子に「ドメスティック・ヴァイオレンス」でもかましてやればよかったのではと思います!
少なくてもメティエに行き詰ったということはないでしょう。自己の造形資質を下落合はダメで「パリのマティエール』に見出したわけですから違和感もコンプレックスもないはず。
佐伯に「パリ症候群」は見出せません。とするとその精神障害はやはり遺伝的な資質か、副作用か、そういうものなのでしょうか?
よく言われることですが欧米人は「個人主義」が強い。とりわけヨーロッパはその伝統やプライドと絡みそれが強いようです。日本人のように偏狭な島国根性的枠組みの中にあらゆる価値観を押し込んだり、因習や集団性の中に自我の安住の地を見出そうとしたり、曖昧さや事勿れ主義に逃げ込んだりしない反面、冷たい、義理人情が通用しない、実力主義など合理精神が支配的。
またそれに加え、ヨーロッパの芸術文化に触れた時、そのあまりのスケールと奥行きの深さに圧倒され、それに比しての自我の余りの未熟さと矮小さや自国の貧弱で泥臭い文化にカルチャーショックを受けると言う場合もある。とりわけこれは絵画に限ったことではないが何某かの文化芸術に携わる者や感受性の強い者ほどその感慨は強いかもしれない。言い換えるとその意味では最初っから何も無いあるいは適当に「鈍感」の方が良いのかもしれませんが。
前者については、現にあることですが現地で日本人社会を作ることである程度克服できるでしょう。そのコミニュテーがあれば少なくても孤独感や疎外感からは開放されます。しかし当時は若い画家などが、今ではあまり意味のない「ハク付け」の為せっせとの渡航していた頃だし、むしろ今より日本人同士の結びつきは強かったし、佐伯もそういう意味では十分に一族郎党、地縁、血縁、門閥、学閥あらゆる人脈にめぐまれていたのでその意味では問題は考えられません。むしろ諸人間関係の煩わしさなど逆作用すら考えられます。
後者についてはやはり自我の内部に何某かの思想や受け皿になるような根拠を準備する必要があるように思います
佐伯の先輩の高村光太郎は、再三引用して恐縮ですが以下の詩に見られるような、当地の芸術文化に対峙するに当たってのそういうものがかなり強固に確立されていたようです。
「パリ」高村光太郎
私はパリで大人になった。
はじめて異性に触れたのもパリ。
はじめて魂の解放を得たのもパリ。
パリは珍しくもないような顔をして
人類のどんな種族をも受け入れる。
思考のどんな系譜をも拒まない。
美のどんな異質をも枯らさない。
良も不良も新も奮も低いも高いも、
凡そ人間の範疇にあるものは同居させ、
パリの魅力は人をつかむ。
人はパリで息がつける。
近代はパリで起こり、
美はパリで醇熟し萌芽し、
頭脳の新細胞はパリで生まれる。
フランスがフランスを越えて存在する
この底無しの世界の都の一隅にゐて、
私は時に国籍を忘れた。
故郷は遠く小さくけちくさく、
うるさい田舎のやうだった。
私はパリではじめて彫刻を悟り
詩の真実に開眼され、
そこの庶民の一人一人に
文化のいはれをみてとった。
悲しい思いで是非もなく、
比べやうもない落差を感じた。
日本の事物国柄の一切を
なつかしみながら否定した。
反面小出楢重は「全面否定」で日本に帰る、「俗物」フジタはモンパルナスで遊び呆けていたし、荻須は長い時間をかけ吸収していった。佐伯にそうした「徹する」というところはあったのでしょうか?
何か総てに半端で人の良い、優柔不断なところが有り、気まじめさが災いしたように思えます。たまには米子に「ドメスティック・ヴァイオレンス」でもかましてやればよかったのではと思います!
少なくてもメティエに行き詰ったということはないでしょう。自己の造形資質を下落合はダメで「パリのマティエール』に見出したわけですから違和感もコンプレックスもないはず。
佐伯に「パリ症候群」は見出せません。とするとその精神障害はやはり遺伝的な資質か、副作用か、そういうものなのでしょうか?