別途朝鮮総督府に因み父方の祖先が薩摩藩であったと書いたが母方も鍋島藩で、そのプライドばかり高く「武士の商法」の言葉に象徴されるような世間知らずの適用性の無さに加え戦後の財産総てを喪失した没落に伴い「祖先の因果が子孫に報い」風の煽りを少なからず私も受け、今なお「適応障害」の、貧乏の…そんなことはどうでもよいが、ともかくその鍋島藩には「葉隠(はがくれ)」という「武士道精神」のバイブルのようなものが伝えられていた。「武士道とは死ぬことと見つけたり」と言う有名な書き出しで始まるものである。この言葉自体は私の人生観に通じるものがあり嫌いではない。
 しかしこれほど先の神話と同じく明治維新以来「富国強兵」のプロパガンダとして国家権力に悪用されたものはない。

 先の戦争では「武士」どころか「百姓、町人」の子弟までも「義に生き忠に死すべき≪もののふ≫」とおだて上げ、「大和男子(やまとおのこ)と生まれなば 散兵線の 花と散れ」とばかりに数多の若い命を戦場に散らしたのである。ところが戦争で負けたとたんそんなお題目をかなぐり捨て、生き残らんがために昨日までの「鬼畜米英」に「ギヴ ミー チョコレート!」と愛想振りまいたのが戦後の日本。一朝にしての変わり身の早さは「義に生きるべき武士道精神」が聞いて呆れるというものである。
 「国家の品格」ではないが今「ブシドウ」と言えるべきものがあるとすれば今までの日本の「エコノミックアニマル」、「ワークホリック(働き中毒)」、「賎民資本主義」と世界から揶揄された拝金主義、生産性至上主義、から人間性優先、精神生活重視へと価値観を転換することではないか?

 今サッカーで「サムライブルー」とか言って騒いでいるがその「サムライ」の言葉の意味や歴史的経緯をを知っているのだろうか?サッカーに因みもう一つある。
 日本サッカー協会のシンボルマーク、エンブレムには黒い三本足のからすがデザインされている。これは「八咫烏(ヤタガラス)」と言うカラスだ。高天原(たかまがはら)から「天孫降臨」した「建国の神様」が東征し大和朝廷になる過程で道案内したのがこのカラス。もう一つ貢献した鳥がいる。「金色のトビ」がそれ。これをあしらったのが「金鵄勲章」。戦争で「殺人」の功績を挙げた軍人に贈られた。つまりヤタガラスも金色のトピも同じ「故郷」から出ているのだ。
 
 圧倒的「アジテーション・カルチャー」の下で、ヤタガラスをあしらったサムライブルーのTシャツを着て日の丸振ってる若い連中はおそらくこの辺の知識は無いだろう。応援の前提にそういう知識は必要ないとして誰も教える人間はいないからでる。
 あれもまぁいいではないか、これも考えすぎ、それに目クジラたてる必要は無いという「単独事なかれ主義者」には一時が万事そういう傾向が見られる。その「単独事無かれ主義」が積み重なって、一つの大きな事象となった時には手遅れというのが世の常だ。先に述べたように為政者やエスタブリシッユが何某かの目途を持って国全体をある方向に持っていこうとした場合、ことは外堀から埋めるように、深く静かに進められるだろう。先ず「無知の放置」から始まり情報操作、世論誘導、「右向け、右!」、「全体進め!」である。「愛国心教育」から「改憲・再軍備」は現実の問題となっている。

 ヤタガラスや武士道が再び別の形相をして現れた時、「以前サッカーの時もそうだったじゃないか、心配ない!」と言ってまた事なかれ主義を決め込むのであろうか?
この国の安易に情報管理される国民性にもう一つの「貧しさ」を感じる。

(おわり)