もう一度私なりの思想の定義を述べる。
≪ …創造が宿るべき思想とは勿論政治、社会科学、宗教、哲学など体系化された「イデオロギー」に限られない。 この場合のそれは「創造の主体たる自我がその背負ってきた人生と絡めてどうで、その自我が位置づけられている時間・空間(現在・過去・未来、社会・国・世界・宇宙)への認識がどうで、その時空との関わり方がどうだから自分の創造行為はどうあるべきか、そしてその「メティエ」(なりわい)自体に係るポリシー、プライド」…総て陳腐な表現ではあるが「アイデンティティ」と言われるものだ。≫

 新古典主義もバルビゾン派も印象派もエコールド・パリも野獣派も総て画家の思想、それが造形的に純化した「造形思想」が底流にある。つまり≪創造者とは思想家なのだ≫。
 思想がないというのはその受け皿たるものの創造がない、あるいはメティエがない、逆に言えば創造やメティエを通じて思想がない、だからそれに伴う危機感とか批判精神とかもないということが言える。
 ただし創造の主体の介在が最初から希薄な肖像画や宗教画、イコンなどの古典絵画、あえてそれを払拭すること自体に創造の目的と意義を認めようとする一部の現代絵画、および、幼児、知的障害、認知症等々別次元での分析が必要な創造もあるということを申し添える。

 さて以前あるベテラン画家が「日本の神話」を描くと言う若い描き手にその「思想」から懸念を表明したことがある。その画家の意見に賛意を示したのは私一人。私は以下のごとくその理由を展開した。
 すなわち日本の神話はギリシアやローマ神話のような純粋な神話ではない。かつて国家権力が「国体護持」、「軍国主義」の精神的支柱たる「国家神道」、「皇国史観」の根拠として、あるいは世論誘導のプロパガンダとして利用したのである。しかもそれは観念だけの問題ではない。「八紘一宇」とは「世界はその四辺四角に至るまで天皇を中心とした一つの家」ということ、これは日本書紀に書かれていることであり、「忠君愛国」と供に大東亜・太平洋戦争のスローガンとして具現化されたのである。
 あるいは、元寇の時大風がふいて蒙古の大軍が沈没したように、日本は「八百万(やおよろず)の神々に護られているので滅びることはない、その大風から「神風(カミカゼ)特攻隊」の名前が来ているということ等を例としてあげた。

 そのような経緯がどのような結果となったかは周知の通り。正に亡国寸前までに至ったのである。否ひとたびは滅亡したというべきだろう。何よりもそれは戦後のこの国自体が否定したものであり、そうした「前科」のあるものに対してはそれなりの警戒を要するのは当然であろう。
 ましてや精神の自由による純粋な創造が求められる世界で、若い描き手が、その既成の「話題性」や、かつての国策の手垢にまみれたテーマにに安易飛びつくというのは、「創造の自由」への干渉だとか世代間ギャップだとか批判されるリスクを冒しつつも、件の画家にとっては看過できないことだったのであろう。もう一度言えばその画家の行為は思想ある画家として当然の行為であった。

 一方この描き手を支持する側即ち件のベテラン画家と私に反対する立場の趣旨は以下様であった。「戦争も国策に神話が利用されるのも反対、しかしことは個人の問題、神話を描く自由も排除すべきでない。 ことは創造の自由への干渉である。」
 先ずこれは思想ではない。前者は当たり前のことである。問題は件の神話を根拠にした一元的価値体系が、その創造の自由を含めて、本邦国人のみならず、人間の存在、尊厳そのものを蹂躙した「道具」に現にかつて使われたものであるということ。そして少なくてもそういう「消極的肯定」も右翼・保守陣営の「積極的肯定」も現象面おいては全く同じものになるということ、結果問題点を曖昧にしてその罪を許容してしまうということになるということだ。

 百歩譲ってこの「まあ良いではないか、それくらいのことに目クジラを立てることはないではないか」という「単独事なかれ主義」として許容したとしよう。しかし、仮に私が権力者・エスタブリッシュで一定の目的の方向へ情報を操作し世論を誘導しようとしたら単独ではなくいくつもの「エサ・ワナ」を仕込み、全体的に、なし崩し的にそういう方向へ持っていく努力をするだろう。それには仮想敵を作り、背景にある事実を隠し、知識を与えず、時にセンセーショナルに、時に快楽的に、時に狂信的事象に目を奪わせる様な情報を提供する。ヒットラーの手法や幕末の「えらいやっちゃ」騒動など事例は史実に事欠かない。
 つまり特定の事実に対する「単独事なかれ主義」では済まない、気がついたらその思惑にはめられていたということになる、だからトータルに事象を見る必要がある、知識がなければ知識を与え与えられる必要あるのである。

 ついでにその「知識」について事例を述べる。
(つづく)