先ず以下の文を読んでいただきたい。(一箇所加筆)

 ≪… 先ず前投稿については私は「全く興味ない」としか言ってません。興味なければいけないんですか?!
 「サッカーを「お祭りの馬鹿騒ぎ」と≪しか見ない≫」とか最貧国の子供がどうたら言うのはどこから出てきたのですか?「いくら政治に問題意識があっても…」という言葉からも私のほかの文も読んでのことと判断します。
 それなら話は早い。
 私は現下の「バカ騒ぎ」を石油危機当時のトイレットペーパーの買い漁りから今日の韓流ドラマ、ダビンチコードなどに至るいたるものと同じような、軽薄で愚俗な社会現象と見てます。
 本当にサッカーを知ってて、本当に興味がある人がどれほどいるか疑問です。メキシコ五輪で胴メダル取った時も、日本が参加できないWカップ開催の時も今のような土壌はなかった。にわかに盛り上がってきたのはJリーグ創設時以後です。
 ヨーロッパ諸国はサッカー以外に「国民的スポーツ」といえるものはありません。ラテン諸国はホンジュラスとエクアドルの「サッカー戦争」に象徴されるような血の気の多い国民性、第三世界は他に娯楽はない、日本の「胡散臭い」ワイワイ言うのとは質が違うんです。あなたこそこういうこと考えたことあるんですか?

 これを私は「世論誘導や情報操作の成果」と見てます。この辺の見解は以下です。(既にご存知かもしれませんが)。

http://blogs.yahoo.co.jp/asyuranote/35813828.html

 こうしたことは私は「社会的害悪』と考えています。一つは例えばハレー彗星の尾っぽのようなものに目を奪われその核の部分、ことの本質のようなものが見落とされるということ。サッカーでも「ミーハーと一緒にされてたまるか」と言う人いますよ。
… 中略… 
 私の知っている、主体性があって、創造力があって、覚醒した批判精神のある人は安易に時流に流されたり、集団性の中に自我の安住の地を見出すような人はいません。私もはその意味では喜んで「非国民」になります。以上は言論・信条・表現の自由に属する私の≪思想≫です。あなたもこの辺の思想があるなら、他人を中傷する前に、政治学でも社会学でも文化人類学でもどんなアプローチでも良いですから、自分の言葉でこの辺のところを語ったらどうですか?私は読むつもりないですが…。≫

 これは現下のサッカーWカップをめぐる「バカ騒ぎ」についての私の意見についての『反論』に対する私の回答である。当該投稿人の発言は著作権に鑑み割愛している。
 先ず「バカ騒ぎ」とは私の独断と偏見ではなく現に市井の一部でも広く囁かれている、ことの性質を表すに便利な形容詞。
 これに対して当該投稿人の趣旨は「事実(バカ騒ぎ)を認める度量があってもよいのではないか?それがないのは左翼の偏狭さに類する」とし、他に誠に大雑把な世代論から単純な言語についての人格攻撃に似た揚げ足取りに至るまで、凡そ反論のレベルとはいえない論旨に終始していた。挙句に文句があるなら日本を出ればよいだろうということらしい。

 先ず前段の言葉はそっくりお返しする。「そういう意見もあってよい」なら同じことだろう。自己の度量はどこにある!?次に左翼云々はかつての「アカ」呼ばわりに類する誠に愚劣なレッテル貼りだ。ある事象についての真摯な意見について政治的概念での区分わけで片付けるのは己の思想的脆弱さの暴露以外の何物でもない。もとより私は常々右だ左だ言う偏狭な政治的概念で括られる程度の思想を語っているつもりはない。
 以前別途私はアメリカの大義名分のないイラク攻撃やテロの問題、朝鮮半島問題に関し真摯に「史実と第三世界の立場を踏まえなければ事の本質は絶対解決しない」と言ったらある「保守反動」(レッテル貼らしていただきました)の御仁から「おまえがイラクや北朝鮮と同じ立場に置かれている不満からくる同情心としか思えない」とわけのわからないことを言ってきた。正に下衆のかんぐり、同じ視点で言わせてもらえばその道で大したエスタブリッシュにあるとも思えない御仁が一生懸命体制擁護の論を張るのは哀れにも滑稽にも思えるが。
 いずれにしろ同じ穴のムジナ的決め付けとレッテル貼りだ。ついでに言うなら私がどう生きてきたか今何考えているか、どういう性格か、全部大きなお世話だ!

 引用文中「中略」部分は以下だ。≪…もう一つはそうした情報管理されやすい、「右向け右、全体進め!」と言う国民性が戦争へ駆り立てたかつての日本のように「衆愚のエネルギー」として日本をあらぬ方向へ持っていく可能性があるということです。これは迷惑なことだし監視する必要があることと思います。…≫
 これが私の結論である。つまり単純に一社会事象として看過しえない部分があるということ、これは芸術文化にも関係してくること。そして引用文中にも言っているがこれは私の社会学的「立派な」思想である。思想があるなら思想で反論すべきだろう。
 当該投稿人はもしかしたら「バカ騒ぎ」の当事者で、応援ツアーかなんかで当地で「暮らしている」のかもしれない。自らの行為の思想を語れないなら、それを批判する者のレッテル貼りや世代論や揚げ足取りで自己の立場を合理化しようとしないでないで堂々と「バカ騒ぎ」してればよい。
 私の思想はそういう「確信犯」を含めてのものなので大勢に影響ないが。

(つづく)