佐伯祐三が作ったと言うキャンバスをまた作ってみた。今度は多少オリジナルとは違う。素材はマルセル石鹸を含めて同じだが、支持体をパネルとドンゴロスにした。
 おそらく佐伯の第一義は半吸収地による速乾であったと思われるが、それだけではなくこれは生地目を生かした面白い効果が得られ、マティエールも展開の可能性も期待できそうだ。何枚かつくったので暫くこれに描いてみることにした。作品関連の仔細は別機会に譲る。
 これは是非whiteorionさんにも試してもらいたいと思い、かねてより落成したばかりのギャラリー見学をお招きいただいていたこともあり、2点を持参した。1点は厚塗り、一点は薄塗りで生地目をハッキリ残したものである。

 さてそのギャラリーだが多摩地区にはおそらくこれほどのものはないだろうと思うくらいの立派な「白亜の殿堂」であった。なりよりもこのギャラリーの強みは営利を目的としなくてよいので、ギャラリーとしてのコンセプトなり格調なりを維持できるということだろう。しかしだからといっていつまでも同じものを展示していたり何も使わない宝の持ち腐れのようになってはなによりもったいないので、それらのバランスが大事だろう。幸いにして「医科・美術部」はかなりレベルが高いのでその常設展示だけでも格調は保てそうだ。
 かつて、バルビゾン、ポントワーズ、オーヴェールシュルオワーズなど、芸術の中心地パリから人里離れたところが画家たちの梁山泊とてし美術史上に名を留めたのは周知のところ。これは単に地理的事情の偶然ではなく、既成の体系、秩序や権威に甘んじ得ない才能が、自由と純粋さと新しさを求め物理的にも離れたところで集まり、かつその才能同士が切磋琢磨しあったということもあるだろう。
 私は本邦の画壇や市場のありかたを「上野・銀座体制」と呼んでいるが、それにはかなり行き詰まりを感じ、そのため本邦の芸術文化が得体の知れない変な方向に向かっていると思っている。その上野・銀座と「人里離れた」武蔵野の地が、orionさんも夢見る、「世界に向けての文化の発信地」なったらすばらしいと思う。
 そしてかのギャラリーは一定のレベルとコンセプトを保つなら十分そうした可能性の受け皿になり得るものと思う。

 さて最近ある骨董屋を覗いていたらアンティーク人形を見つけた。人形と言えば件のwhiteorionさんの領分であるが、値段がなんと500円。これは買わない手はないと思って買った。髪の毛のカールが乱れていると言うこと、手足が曲がらないこと、そしてなりより「メイド・イン・チャイナ」の「バッタもん」の中古ということでその値段であるのであろうが、モティーフとするに十分な体裁と雰囲気を備えていた。帰り道年甲斐もなくうれしさでウキウキした。前から人形は描いてみたかった。それも青バラと組み合わせて。
 さっそくスケッチブックに鉛筆でデッサン。次に地塗り済みの「佐伯のキャンバス」15号に描き込む。一点ではもったいないのでもう一点用意。「青バラシリーズ」としてブログ再開時にアップの予定。