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Ψ筆者作「サンマルタン2」F20油彩
 
 件の落合論文で薩摩千代子のところで「岡という学生」が出てくる。これは後に点描派系の大御所となる岡鹿之助のことである。因みにわたしは本邦のこの点描派があまり好きではない。本邦のそれはスーラなどのそれとは違って、自己目的的、あまりにチマチマし「工芸品」的技巧に懲り、やたら「緻密な日本人的・感性」などという、嫌いな言葉が二つも重なるような謳い文句で評価される。
 しかし岡の風景画は嫌いでない。彼の代表作に「発電所の雪景色」と言うような題の絵があった。これは彼が長い間イメージし希求し続けた絵にすべき理想的風景に出会って描いたという、その画家冥利の喜びのようなものが横溢した傑作である。
 その岡は私が先にアップした「サンマルタン」と正に同じ場所を描いている。これは全く偶然。私も知らなかった。これはその風景が正に絵に描かれるために存在しているかのごとき、モティーフとして引き付ける魅力があるということだろう。こんな風景が日本にはそうないだろう。
 ともかくそのサンマルタン運河の他、モンマルトル、シテ島、エッフェル塔、セーヌ河畔などパリやその近辺にはだれもが描くような名勝数多あるが、不思議と言えるくらい佐伯はそれらを描いていない。唯一ノートルダムぐらいだろう。それと佐伯の絵には「季節感」がない。一様に黒っぽいのだ。
 私がこの辺を解釈するに佐伯の造形目的は「パリそのもの」であり、それ以外は必要ではなかった。自己の造形感覚に呼応する「パリの情報」と「パリのマティエール」があればよい。季節感などの風景画としての表現性や構成主義のような造形的面白さも必要ではなかった。その代わり「下落合」ではダメだったのである。
 それが佐伯芸術であり、そういう意味では本邦では稀有の徹底した「風景画家」であったような気がする。