佐伯祐三のキャンバスを今作っている。佐伯のキャンンバスは市販されているような普通の油性キャンバスではない。言わば手作り、処方は複数あるが概ね原理は同じである。
共通しているのは液体媒材は膠と亜麻仁油混合、即ち水性と油性の混合でエマルジョン地の半吸収地ということになる。最初これを知った時から今日まで、それを普通のキャンバスを買うより安くつくと言う費用の事からと思っていた。材料はまとまった量を使うので一辺に大量のキャンバスができので割安になるはずと思っていたのである。
ところがどっこい、現下の相場では生キャンバス(麻布)だけでも普通のキャンバス布とそれほど変わらないし、後述する材料の費用と作る手間を考えれば余程普通のキャンバスを買う方が良いという結論を得た。佐伯の手作りキャンバスはやはりその造形的要請から来たものだったのだろう。
なお亜麻仁油は「ボイル油」と伝えているものもある。これは亜麻仁油に熱を加えたもの。今日では「スタンドオイル」とか「サンシックンド(太陽に晒した)オイル」という粘性の強いリンシードに当るもののようだ。
さて「水と油」が混じらないのは諺にもあるくらい。これが互いの粒子が互いの液体の中に安定して溶け合っている状態を「エマルジョン」と言う。「乳化」である。この場合それぞれを繋げる成分が必要だ。鶏卵のレシチン、牛乳のカゼインなどがそれで、それぞれ「卵テンペラ」、「カゼインテンペラ」などと言う技法があるごとく「エマルジョン画法」として油彩以前の古典画法からあった。
佐伯の場合は絵の具は油彩だが下地剤がそれだったのである。面白いのは佐伯の場合その繋ぎに「マルセル石鹸」と言う洗濯用石鹸を使ったことである。
マルセル石鹸は洗濯機が普及しそれに伴ない粉石けんが一般的となる以前、即ち洗濯板でゴシゴシ洗濯していた時代から各家庭に必ずあったものである。石鹸はたいていの油汚れも水で洗い流せる。それがエマルジョンとして働くからである。その性質を逆に利用したものだった。ただこの技法は今日の技法書にはあまりないだろう。
そのアルカリ成分の対顔料との関係や石鹸自体の安定性に疑念なしとしないからであろう。しかし、先の「練馬展」の画面からは少なくてもそれから来る破綻は見受けられないように思った。ただまだ80年しか経ってないし、修復してるかもしれないのでこの辺はなんとも言えないが。ともかく佐伯はこれを使った。
そうした液体媒材の混ぜたもので名前が挙がっているのが
〇胡粉
〇白亜
〇亜鉛華
である。胡粉も白亜も成分は同じ炭酸カルシウム。白亜は「ムードン」とか「スペイン白」の名でも市販されている。亜鉛華は酸化亜鉛から作られ仏名ブランザンク、英名ジンクホワイトのこと。
この亜鉛華が前二者と決定的に違うのは純然たる白色顔料であるということである。つまりそのまま絵の具に使われるほどの強い色味があるということ。前二者は屈折率が小さく、つまり透明で着色顔料には向かない。
前者は「体質顔料」として下地にボリュームを与え、後者は奥から照り返すような白さを画面に与えると言うそれぞれの効果がある、言い換えると両方とも必要なものだ。
これらをそれぞれ片方を使わなかったという処方も伝えられている。しかし例えば亜鉛華だけで下地を作るとしたら画面にボリュームを与えるには相当量が必要だし、もったいない、高くつく、重くなる、亀裂を生じやすい。炭酸カルシウムだけでも透明過ぎて絵の具の発色や乗りも良くないだろう。
私は白亜と亜鉛華両方をマルセル石鹸を入れた件のエマルジョン液で練ると言う処方にした。レシピが正確のところがわからないので、テンペラ地を作った時の経験を頼りに勘に頼る手探り状態だが。
さて真贋事件に絡み白色顔料が「亜鉛華」でなく「チタン白」であったものにつき議論がある。
チタン白が生産され始めたのが1916年~1919年、ヨーロッパで市場に出回ったのは1926年ごろと言われている。
つまり佐伯死亡が1928年なので佐伯が出始めのチタン白を使う可能性はある。しかし当時のチタン白と戦後作られたものは種類が違う。1926年前に制作されたものとされるもので、戦後作られたチタン白が使われたものはその後作られた贋作である可能性が強い。
また前述の下地剤について、体質顔料同士、または白色顔料同士を誤って認識するということはあるが体質顔料と白色顔料、例えば白亜と亜鉛華を間違うと言う事はまず考えられない。外見で違いは明らか。
アナターズとルチル・チタン白
http://blogs.yahoo.co.jp/asyuranote/64117222.html
共通しているのは液体媒材は膠と亜麻仁油混合、即ち水性と油性の混合でエマルジョン地の半吸収地ということになる。最初これを知った時から今日まで、それを普通のキャンバスを買うより安くつくと言う費用の事からと思っていた。材料はまとまった量を使うので一辺に大量のキャンバスができので割安になるはずと思っていたのである。
ところがどっこい、現下の相場では生キャンバス(麻布)だけでも普通のキャンバス布とそれほど変わらないし、後述する材料の費用と作る手間を考えれば余程普通のキャンバスを買う方が良いという結論を得た。佐伯の手作りキャンバスはやはりその造形的要請から来たものだったのだろう。
なお亜麻仁油は「ボイル油」と伝えているものもある。これは亜麻仁油に熱を加えたもの。今日では「スタンドオイル」とか「サンシックンド(太陽に晒した)オイル」という粘性の強いリンシードに当るもののようだ。
さて「水と油」が混じらないのは諺にもあるくらい。これが互いの粒子が互いの液体の中に安定して溶け合っている状態を「エマルジョン」と言う。「乳化」である。この場合それぞれを繋げる成分が必要だ。鶏卵のレシチン、牛乳のカゼインなどがそれで、それぞれ「卵テンペラ」、「カゼインテンペラ」などと言う技法があるごとく「エマルジョン画法」として油彩以前の古典画法からあった。
佐伯の場合は絵の具は油彩だが下地剤がそれだったのである。面白いのは佐伯の場合その繋ぎに「マルセル石鹸」と言う洗濯用石鹸を使ったことである。
マルセル石鹸は洗濯機が普及しそれに伴ない粉石けんが一般的となる以前、即ち洗濯板でゴシゴシ洗濯していた時代から各家庭に必ずあったものである。石鹸はたいていの油汚れも水で洗い流せる。それがエマルジョンとして働くからである。その性質を逆に利用したものだった。ただこの技法は今日の技法書にはあまりないだろう。
そのアルカリ成分の対顔料との関係や石鹸自体の安定性に疑念なしとしないからであろう。しかし、先の「練馬展」の画面からは少なくてもそれから来る破綻は見受けられないように思った。ただまだ80年しか経ってないし、修復してるかもしれないのでこの辺はなんとも言えないが。ともかく佐伯はこれを使った。
そうした液体媒材の混ぜたもので名前が挙がっているのが
〇胡粉
〇白亜
〇亜鉛華
である。胡粉も白亜も成分は同じ炭酸カルシウム。白亜は「ムードン」とか「スペイン白」の名でも市販されている。亜鉛華は酸化亜鉛から作られ仏名ブランザンク、英名ジンクホワイトのこと。
この亜鉛華が前二者と決定的に違うのは純然たる白色顔料であるということである。つまりそのまま絵の具に使われるほどの強い色味があるということ。前二者は屈折率が小さく、つまり透明で着色顔料には向かない。
前者は「体質顔料」として下地にボリュームを与え、後者は奥から照り返すような白さを画面に与えると言うそれぞれの効果がある、言い換えると両方とも必要なものだ。
これらをそれぞれ片方を使わなかったという処方も伝えられている。しかし例えば亜鉛華だけで下地を作るとしたら画面にボリュームを与えるには相当量が必要だし、もったいない、高くつく、重くなる、亀裂を生じやすい。炭酸カルシウムだけでも透明過ぎて絵の具の発色や乗りも良くないだろう。
私は白亜と亜鉛華両方をマルセル石鹸を入れた件のエマルジョン液で練ると言う処方にした。レシピが正確のところがわからないので、テンペラ地を作った時の経験を頼りに勘に頼る手探り状態だが。
さて真贋事件に絡み白色顔料が「亜鉛華」でなく「チタン白」であったものにつき議論がある。
チタン白が生産され始めたのが1916年~1919年、ヨーロッパで市場に出回ったのは1926年ごろと言われている。
つまり佐伯死亡が1928年なので佐伯が出始めのチタン白を使う可能性はある。しかし当時のチタン白と戦後作られたものは種類が違う。1926年前に制作されたものとされるもので、戦後作られたチタン白が使われたものはその後作られた贋作である可能性が強い。
また前述の下地剤について、体質顔料同士、または白色顔料同士を誤って認識するということはあるが体質顔料と白色顔料、例えば白亜と亜鉛華を間違うと言う事はまず考えられない。外見で違いは明らか。
アナターズとルチル・チタン白
http://blogs.yahoo.co.jp/asyuranote/64117222.html