これは重要な事なのでちょっと長くなります。先ず「素材論」の話からになりますので我慢して聞いて下さい。
「グァッシュ」は「不透明水彩絵の具」と訳されていますがそれは元々はメディウムとなるアラビアゴムの性質を言ったものです。その性質とは「水で溶き乾燥固化するがいつでも水に再溶解する」という性質です。このアラビアゴムが濃いのが透明水彩、薄いのが不透明水彩です。
因みに「水で溶き乾燥固化するが容易に水に再溶解しない」のを広義「にテンペラ」と言います。だからアクリルも一種のテンペラなのですが、一般的には「卵テンペラ」のことをテンペラと言ってます。
さて、simpleさんも練馬に行かれたようですが、「修復研究所21」の村松裕美さん…ああいう自身に「メティエ」を持っている女性はなかなか魅力があってカッコいい…そんなことはどうでもいいですが、彼女の話よく聞き取れませんでしたが、「修復の仕事は≪現状維持≫を第一に考える」、「接着には膠を使う」と言う言葉が耳に残ってます。
この「現状維持」と言うのは修復とは完全に「原状回復」してそれを恒久的なものにとするということではないと解釈できます。つまり、将来の「再修復」を念頭に入れたものということです。
同研究所サイトでも「修復に用いる材料や方法は、再修復時にオリジナルの部分を損なうことなしに、容易に除去できるものを使用します。」と書いています。
つまり修復した個所が分かるようにしておく事、そこを再修復できることが大事ということです。何故恒久的措置を取らないかというと将来新たに傷んだ個所とバランスを取りつつ一緒に修復する必要性からでしょう。
そこで油彩と性質の違う、再溶解可能のグァッシュを使うのです。修復研究所21のサイトでも水彩絵の具を使うと書いてます。それだと水で洗い流せ新たに修復ができます。接着用の膠も単独なら容易に洗えます。油を垂らすとはグァッシュはパステルタッチで艶がない、乾燥すると色味が変わるなどを欠点を補うためです。
落合論文にも「修復と加筆は物理的には同じこと」と書いてました。正にその通り。しかし決定的に違うのは「修復と描画」という「目的」が違うのです。つまり米子がそれをやったとしたら「描画レベルで修復をやってしまった」ということになります。修復は再修復を考慮してますし極く狭い個所ですが、描画でそれをするということは。エマルジョン(乳化)メディウムならいざ知らず、水と油と言う不安定な関係を無視したもの、佐伯にはその繋ぎに石鹸を入れてますのでそういう認識はあったと思いますが、これは乱暴と言えば乱暴なやり方です。
しかし論理的にはそれを洗い流せば佐伯だけの線が残るはずで真贋もハッキリするでしょうね。
さて蛇足ですが先の「修復研究所21」の前身は、私が通ったことのある絵画研究所の専門家育成付属機関で、その後「創形美術研究所」となり、そこから独立したものであるという沿革があるようです。今回の「練馬」でも手がけた修復作品がいくつかあるとのこと。
そこにある「創形美術研究所」の所長が落合論文に出てくる歌田真介。高橋由一などを手がけた専門家です。彼は私が通っていた頃絵画実技を教えていたと記憶してます。習った事があるかもしれません。
その歌田は落合論文中では「贋作と判断した為修復を断った」とされています。杉浦氏とは対照的な態度ですね。
「グァッシュ」は「不透明水彩絵の具」と訳されていますがそれは元々はメディウムとなるアラビアゴムの性質を言ったものです。その性質とは「水で溶き乾燥固化するがいつでも水に再溶解する」という性質です。このアラビアゴムが濃いのが透明水彩、薄いのが不透明水彩です。
因みに「水で溶き乾燥固化するが容易に水に再溶解しない」のを広義「にテンペラ」と言います。だからアクリルも一種のテンペラなのですが、一般的には「卵テンペラ」のことをテンペラと言ってます。
さて、simpleさんも練馬に行かれたようですが、「修復研究所21」の村松裕美さん…ああいう自身に「メティエ」を持っている女性はなかなか魅力があってカッコいい…そんなことはどうでもいいですが、彼女の話よく聞き取れませんでしたが、「修復の仕事は≪現状維持≫を第一に考える」、「接着には膠を使う」と言う言葉が耳に残ってます。
この「現状維持」と言うのは修復とは完全に「原状回復」してそれを恒久的なものにとするということではないと解釈できます。つまり、将来の「再修復」を念頭に入れたものということです。
同研究所サイトでも「修復に用いる材料や方法は、再修復時にオリジナルの部分を損なうことなしに、容易に除去できるものを使用します。」と書いています。
つまり修復した個所が分かるようにしておく事、そこを再修復できることが大事ということです。何故恒久的措置を取らないかというと将来新たに傷んだ個所とバランスを取りつつ一緒に修復する必要性からでしょう。
そこで油彩と性質の違う、再溶解可能のグァッシュを使うのです。修復研究所21のサイトでも水彩絵の具を使うと書いてます。それだと水で洗い流せ新たに修復ができます。接着用の膠も単独なら容易に洗えます。油を垂らすとはグァッシュはパステルタッチで艶がない、乾燥すると色味が変わるなどを欠点を補うためです。
落合論文にも「修復と加筆は物理的には同じこと」と書いてました。正にその通り。しかし決定的に違うのは「修復と描画」という「目的」が違うのです。つまり米子がそれをやったとしたら「描画レベルで修復をやってしまった」ということになります。修復は再修復を考慮してますし極く狭い個所ですが、描画でそれをするということは。エマルジョン(乳化)メディウムならいざ知らず、水と油と言う不安定な関係を無視したもの、佐伯にはその繋ぎに石鹸を入れてますのでそういう認識はあったと思いますが、これは乱暴と言えば乱暴なやり方です。
しかし論理的にはそれを洗い流せば佐伯だけの線が残るはずで真贋もハッキリするでしょうね。
さて蛇足ですが先の「修復研究所21」の前身は、私が通ったことのある絵画研究所の専門家育成付属機関で、その後「創形美術研究所」となり、そこから独立したものであるという沿革があるようです。今回の「練馬」でも手がけた修復作品がいくつかあるとのこと。
そこにある「創形美術研究所」の所長が落合論文に出てくる歌田真介。高橋由一などを手がけた専門家です。彼は私が通っていた頃絵画実技を教えていたと記憶してます。習った事があるかもしれません。
その歌田は落合論文中では「贋作と判断した為修復を断った」とされています。杉浦氏とは対照的な態度ですね。