http://homepage2.nifty.com/hokusai/saeki/saekiyuzo.htm
Ψ YAHOO掲示板「どうしたらうまくかけるの」における上記サイトに関してのやりとりで、拙文を抜書きした記事です。
≪下地・素材≫
「富山秀雄著、憂愁に閉ざされた青春の画情に次の文章を見つけました。
佐伯は自分で調達してきた麻布を40Mの木枠に張り、その上に膠や胡粉、粉石けんや亜麻仁油などで独特の地塗りを施したが、それが乾くのを待ちかねたように、先に見つけた広告のある塀の場所へと取って返すのであった。
胡粉、粉石けんや亜麻仁油などをどのようにつかったのでしょう。胡粉、亜麻仁油とは? =by white orion」
先づ絵を描く元となる木や布やキャンバスを「支持体」といいます。
この支持体を素材に応じて描きやすい状態の処置を施す事をここでは「下地づくり」といいましょう。
「地塗り」は出来上がりの効果を考え予め絵具を仕込んでおく事とします。
32で私が書いたこと、orionさんのイェローオーカーも地塗りのことです。
さて富山の紹介した膠、胡粉、亜麻仁油等は総て世界堂で売ってますが、「地塗り剤」としてではなく「下地剤」と解釈すべきでしょう。
もしこれらを使うとすれば既成のキャンバスは不可能で、生の麻布やパネルからの支持体作りから始めなければなりません。(因みに麻布は世界堂でも「生キャンバス」としてメーター買いができます。)
布張り、膠引き、乾燥、溶解、湯煎、攪拌、塗布、研磨等厄介な手順があり、それは時間的にも技術的にも困難でしょう。
一方米子夫人の言う「黒などの色で…予め汚した…」というのが「地塗り」のことです。佐伯の画面は言うまでもなくこれに負うところが多い。
つまりここでは、地塗りとは膠、胡粉でやるものではなく普通の絵具で出来ると言う事です。
それから石鹸ですが、私は画材の歴史で洗剤が活躍したと言う話はあまりきいたことがありません。エマルジョンとしての性質はあるかもしれませんがレシチンやカゼインのように恒久的に画面を安定させると言う効果は疑問です。
佐伯もやむを得ず代用品として使ったのかもしえません。
それから例えば蜜蝋を炭酸アンモニュームで溶いたメディウムを「蝋石鹸」というように、画材の世界では「鹸化」というメカニズムを有するものを必ずしも洗剤でなくても「石鹸」といいいますので、この点も完全に排除すべきではないでしょう。
なお亜麻仁油はリンシードという名で通常の溶き油として使われてますが、下地剤としては「スタンド亜麻仁油」、「太陽に晒した亜麻仁油」という名の粘性の強いものを使います。
≪本能≫
佐伯の渡航も自身の実家と妻米子の実家からの相当な額の経済的援助あればこそのものです。したがって彼らについて言えばその芸術と周辺の人間関係は、客観的にorionさんの言われるような事が言えるかもしれません。
しかし私は彼らというより、かなりの芸術家について、その創作活動を突き動かすものはもう一つ別の所に在るように思います。それは例えば外部より触発されるモティベーションとか陳腐ですがアイデンティティというものともまた一つ何か違うような、敢えて言うなら「本能」あるいは「エゴ」のようなものだと思います。
例えば佐伯が周辺の人への配慮とか感謝の気持ちとその創作活動が同一次元にあったとしたら恐らく2回目の渡航はしなかったと思います。健康や画壇での出世や子供の教育に腐心していたかもしれません。事実彼は2回目で客死するわけですが、のみならず彼の死後僅か16日後僅か6歳の娘弥智子も(結核がうつったのかもしれない)彼の地で死ぬのです。
ゴッホについても仮にテオが存在していなくてもその芸術は存在したと思います。 奇しくもテオもゴッホの死後僅か半年後、兄の自殺が一因でもあったでしょう、狂死します。
モディリアニの身重の妻はかれの死後投身自殺します。
周辺を巻き込むかもしれない壮絶な芸術家の「エゴ」と周辺の人間の「無償の愛」(米子を除く!?)を感じます。
…中略…
このような「絶対の自由と純粋さ」という視点でみたほうが私は彼らの芸術は理解できると思います。
「自由と純粋」という意味で言うならフォーヴの精神が正にそうです。
「このアカデミズム!」という罵倒は単純に言えば内面表現の欠如をついてのものですが、本質はそういうことだと思います。佐伯が描いた絵と実際の風景を並べて紹介している本が手元にありますがそれを見ると、その後の佐伯も、モティーフのフォルムを甚だしく逸脱するようなところはなくその意味ではなお「アカデミズム」と言われる余地はあるかもしれませんが、かつてのセザンヌ風の理知的な構成は明らかにみられません。
過酷な命運を代償としている芸術家には自由や純粋さは当然に担保さるべきです。…
Ψ YAHOO掲示板「どうしたらうまくかけるの」における上記サイトに関してのやりとりで、拙文を抜書きした記事です。
≪下地・素材≫
「富山秀雄著、憂愁に閉ざされた青春の画情に次の文章を見つけました。
佐伯は自分で調達してきた麻布を40Mの木枠に張り、その上に膠や胡粉、粉石けんや亜麻仁油などで独特の地塗りを施したが、それが乾くのを待ちかねたように、先に見つけた広告のある塀の場所へと取って返すのであった。
胡粉、粉石けんや亜麻仁油などをどのようにつかったのでしょう。胡粉、亜麻仁油とは? =by white orion」
先づ絵を描く元となる木や布やキャンバスを「支持体」といいます。
この支持体を素材に応じて描きやすい状態の処置を施す事をここでは「下地づくり」といいましょう。
「地塗り」は出来上がりの効果を考え予め絵具を仕込んでおく事とします。
32で私が書いたこと、orionさんのイェローオーカーも地塗りのことです。
さて富山の紹介した膠、胡粉、亜麻仁油等は総て世界堂で売ってますが、「地塗り剤」としてではなく「下地剤」と解釈すべきでしょう。
もしこれらを使うとすれば既成のキャンバスは不可能で、生の麻布やパネルからの支持体作りから始めなければなりません。(因みに麻布は世界堂でも「生キャンバス」としてメーター買いができます。)
布張り、膠引き、乾燥、溶解、湯煎、攪拌、塗布、研磨等厄介な手順があり、それは時間的にも技術的にも困難でしょう。
一方米子夫人の言う「黒などの色で…予め汚した…」というのが「地塗り」のことです。佐伯の画面は言うまでもなくこれに負うところが多い。
つまりここでは、地塗りとは膠、胡粉でやるものではなく普通の絵具で出来ると言う事です。
それから石鹸ですが、私は画材の歴史で洗剤が活躍したと言う話はあまりきいたことがありません。エマルジョンとしての性質はあるかもしれませんがレシチンやカゼインのように恒久的に画面を安定させると言う効果は疑問です。
佐伯もやむを得ず代用品として使ったのかもしえません。
それから例えば蜜蝋を炭酸アンモニュームで溶いたメディウムを「蝋石鹸」というように、画材の世界では「鹸化」というメカニズムを有するものを必ずしも洗剤でなくても「石鹸」といいいますので、この点も完全に排除すべきではないでしょう。
なお亜麻仁油はリンシードという名で通常の溶き油として使われてますが、下地剤としては「スタンド亜麻仁油」、「太陽に晒した亜麻仁油」という名の粘性の強いものを使います。
≪本能≫
佐伯の渡航も自身の実家と妻米子の実家からの相当な額の経済的援助あればこそのものです。したがって彼らについて言えばその芸術と周辺の人間関係は、客観的にorionさんの言われるような事が言えるかもしれません。
しかし私は彼らというより、かなりの芸術家について、その創作活動を突き動かすものはもう一つ別の所に在るように思います。それは例えば外部より触発されるモティベーションとか陳腐ですがアイデンティティというものともまた一つ何か違うような、敢えて言うなら「本能」あるいは「エゴ」のようなものだと思います。
例えば佐伯が周辺の人への配慮とか感謝の気持ちとその創作活動が同一次元にあったとしたら恐らく2回目の渡航はしなかったと思います。健康や画壇での出世や子供の教育に腐心していたかもしれません。事実彼は2回目で客死するわけですが、のみならず彼の死後僅か16日後僅か6歳の娘弥智子も(結核がうつったのかもしれない)彼の地で死ぬのです。
ゴッホについても仮にテオが存在していなくてもその芸術は存在したと思います。 奇しくもテオもゴッホの死後僅か半年後、兄の自殺が一因でもあったでしょう、狂死します。
モディリアニの身重の妻はかれの死後投身自殺します。
周辺を巻き込むかもしれない壮絶な芸術家の「エゴ」と周辺の人間の「無償の愛」(米子を除く!?)を感じます。
…中略…
このような「絶対の自由と純粋さ」という視点でみたほうが私は彼らの芸術は理解できると思います。
「自由と純粋」という意味で言うならフォーヴの精神が正にそうです。
「このアカデミズム!」という罵倒は単純に言えば内面表現の欠如をついてのものですが、本質はそういうことだと思います。佐伯が描いた絵と実際の風景を並べて紹介している本が手元にありますがそれを見ると、その後の佐伯も、モティーフのフォルムを甚だしく逸脱するようなところはなくその意味ではなお「アカデミズム」と言われる余地はあるかもしれませんが、かつてのセザンヌ風の理知的な構成は明らかにみられません。
過酷な命運を代償としている芸術家には自由や純粋さは当然に担保さるべきです。…