今度佐伯祐三展と関連イベントを練馬区美術館でやるという。実は拙宅も練馬区。ここは「文化果つるとこ」とか「東京のチベ〇ト」とか「埼玉県に編入しちまえ!」とか陰口をたたかれるほど「歴史と文化の香りのしない街」とのイメージを持たれている。(確かにそういうとこあるが^^)
そういう意味では珍しく気の利いたも催ものと言えそう。この美術館数年前に「池袋モンパルナス」展というのをやった。(「池袋モンパルナス」についてはこちら)
http://www.e-tiiki.net/ik/
その「池袋…」もそうだが、実は練馬区を含む、西武池袋線と西武新宿線で囲まれた地域で山手線の新宿から目白、池袋以北一帯は、画家とか漫画家とか絵を描くものにとっては一つの文化圏を形成した知る人ぞ知る「由緒」在る所なのである。
中学校の美術教科書にも出てくる「エロシェンコ」は中村彝の作品として有名だが、そもそも最初にエロシェンコとであったのは鶴田吾郎で、あった場所が目白駅頭。その近くの下落合に中村彝のアトリエがあったのでそこで彝とエロシェンコ像を競作することとなる。彝のは「国立近美」に鶴田のは中村屋にある。彼らはいずれも相馬夫妻の中村屋サロンの一員となる。その下落合は佐伯祐三も一時期住んでいたというのは周知のところ。(中村屋サロンについてはこちら)
http://www.nakamuraya.co.jp/salon/
また目白近辺は私の知るところ現在でも2~3の絵画研究所がある。美大受験部も結構実績があり、私も一時期そこへ通っていた事がある。
なお今回の佐伯展の関連イベントでは佐伯の技法について講ずるらしい。佐伯の技法については、市販の麻布に、胡粉、膠、亜麻仁油(リンシード)に石鹸を混ぜ、一種の混合下地のようなものを作った上に地塗りして描いたという技法が伝えられている。この辺は興味あるところであるが、そういう技法を語るのであろう人の属する「修復研究所21」というのは前述の某絵画研究所の付属機関であった。
その研究所は目白と西武線池袋線椎名町の中間にあるが。因みにその椎名町にあったのが漫画家の梁山泊「トキワ荘」。ただこの椎名町は忌まわしい「国家犯罪」とも言える事件の舞台となったところでもある。ここにあった帝国銀行椎名町支店で起こった「帝銀事件」でテンペラ画家平沢貞通が犯人にされてしまったのである。関係者の再三にわたる再審請求も退けられ、冤罪死刑囚のままで名誉を回復することなく平沢は1987年95歳で死亡した。
「池袋モンパルナス」でも明らかなように、池袋線一帯は地価が安かったせいか、戦後多くの画家が住んでいた。現在も北向きで明り取りの大窓がある羨ましいくらい本格的なアトリエが結構ある。中には既に主無きものもある。もったいないから画家に貸せばよいとも思うのであるが。
因みに漫画関連では「虫プロ」、「東映動画」なども西武沿線なのでその下請けのような漫画プロダクションも結構ある。赤塚不二夫の家も下落合だったかな。なお拙宅そばには「ちひろ美術館」があり訪れる人も結構多いようだ。
かくほど左様に当付近は、「上野」・銀座」などの既に出来上がった、どこか鼻持ちならない絵画文化圏に対峙すべき、貧しいがひた向きに造形の世界を究め、それぞれの夢を追う、「青春性」の趣ある文化圏ともいえるものであったが、今は昔日の面影なく、時代にスッポリと飲み込まれて、ひっそりとその事実を語るのみという感じがするのはいずこも同じという感慨である。
そういう意味では珍しく気の利いたも催ものと言えそう。この美術館数年前に「池袋モンパルナス」展というのをやった。(「池袋モンパルナス」についてはこちら)
http://www.e-tiiki.net/ik/
その「池袋…」もそうだが、実は練馬区を含む、西武池袋線と西武新宿線で囲まれた地域で山手線の新宿から目白、池袋以北一帯は、画家とか漫画家とか絵を描くものにとっては一つの文化圏を形成した知る人ぞ知る「由緒」在る所なのである。
中学校の美術教科書にも出てくる「エロシェンコ」は中村彝の作品として有名だが、そもそも最初にエロシェンコとであったのは鶴田吾郎で、あった場所が目白駅頭。その近くの下落合に中村彝のアトリエがあったのでそこで彝とエロシェンコ像を競作することとなる。彝のは「国立近美」に鶴田のは中村屋にある。彼らはいずれも相馬夫妻の中村屋サロンの一員となる。その下落合は佐伯祐三も一時期住んでいたというのは周知のところ。(中村屋サロンについてはこちら)
http://www.nakamuraya.co.jp/salon/
また目白近辺は私の知るところ現在でも2~3の絵画研究所がある。美大受験部も結構実績があり、私も一時期そこへ通っていた事がある。
なお今回の佐伯展の関連イベントでは佐伯の技法について講ずるらしい。佐伯の技法については、市販の麻布に、胡粉、膠、亜麻仁油(リンシード)に石鹸を混ぜ、一種の混合下地のようなものを作った上に地塗りして描いたという技法が伝えられている。この辺は興味あるところであるが、そういう技法を語るのであろう人の属する「修復研究所21」というのは前述の某絵画研究所の付属機関であった。
その研究所は目白と西武線池袋線椎名町の中間にあるが。因みにその椎名町にあったのが漫画家の梁山泊「トキワ荘」。ただこの椎名町は忌まわしい「国家犯罪」とも言える事件の舞台となったところでもある。ここにあった帝国銀行椎名町支店で起こった「帝銀事件」でテンペラ画家平沢貞通が犯人にされてしまったのである。関係者の再三にわたる再審請求も退けられ、冤罪死刑囚のままで名誉を回復することなく平沢は1987年95歳で死亡した。
「池袋モンパルナス」でも明らかなように、池袋線一帯は地価が安かったせいか、戦後多くの画家が住んでいた。現在も北向きで明り取りの大窓がある羨ましいくらい本格的なアトリエが結構ある。中には既に主無きものもある。もったいないから画家に貸せばよいとも思うのであるが。
因みに漫画関連では「虫プロ」、「東映動画」なども西武沿線なのでその下請けのような漫画プロダクションも結構ある。赤塚不二夫の家も下落合だったかな。なお拙宅そばには「ちひろ美術館」があり訪れる人も結構多いようだ。
かくほど左様に当付近は、「上野」・銀座」などの既に出来上がった、どこか鼻持ちならない絵画文化圏に対峙すべき、貧しいがひた向きに造形の世界を究め、それぞれの夢を追う、「青春性」の趣ある文化圏ともいえるものであったが、今は昔日の面影なく、時代にスッポリと飲み込まれて、ひっそりとその事実を語るのみという感じがするのはいずこも同じという感慨である。