最近思わず笑ってしまう慣例化した光景がある。それは長い机の前に沢山のマイクがあってそこに3人ぐらいの人間が座っていて、それがやおら立ち上がったかと思うと、「申し訳ありませんでした!」といって一せいに頭を下げるといった光景だ。一度それを絵にして「謝罪」とかの題をつけたら面白いかもしれない。
 そういう人間はそれなりの世界では一応それなりの存在なんだろうが、みんな同じような顔をしているように見える。一様に人格のない出来損ないの能面のようだ。
 事実、刑事・民事責任を忌避しようとしたり責任転嫁したりする態度、そして何よりも同じことを繰り返すという事実を見るとあれがある種のセレモニーに過ぎないと感じざるを得ない。

 事件・事故、贈収賄、ウラ金、談合、手抜き工事、杜撰行政、虚偽報告・隠蔽、選挙違反、利益誘導、薬害、公害、いじめ自殺、労働災害…うんざりするほど世の中にはびこる諸々の悪や罪や恥や誤謬(以下「悪等」とよぶ)とはあの辺の「儀式」まで計算づくなのではないだろうか。考えてみれば「悪等」の主体たるものがその職務を全うするということは、その利益と安泰を図り、権益にしがみつくということであり、それが「悪等」を生み出すのは必然。問題はそういう土壌を作り出してる市民社会のほうだろう。何度でも同じ様なことをされたり、これを知ってて許しているという限りは「何の罪もない善意無過失の第三者」ということはありえない。というかもっと積極的な悪意の第三者あるいは共犯者というべきか。

 元々この国は反米から親米へと戦後の壮大なご都合主義的転換からスタートし、世界からエコノミックアニマルとか土建屋国家とかワークホリック(働き中毒)とか賎民資本主義とか揶揄されてもおかまいなしに突き進んできて、金儲けがうまいのを「先進国」と勘違いしてきた国だから生産性至上主義、開発優先の帰結としてそれくらいのことは枝葉末節なことなのかもしれない。この国では「カネ」を握ってる人間が一番強いのだ。

 いずれにしろそういう状況が一向になくならないというのは市民社会が成熟していないということだ。それが成熟している国は健全な批判精神や監視眼が活きて存在していて、例えばエスタブリッシュがおかしなことをすればその首は政権交代という形で容赦なく挿げ替えられる。個人主義や個人の権利意識が強いことの良い面の現れだ。この国は戦後60年実質的な政権交代はない。本当に変革が嫌なのだ。こんな先進国はない!

 この国は伝統的に自己主張せざるを美徳と捉えてきた。寄らば大樹、長いものには巻かれろ、事勿れ主義がなまじ自己主張するより安全で利益になると知っているのである。「強い者」や権威に諂い、ひとたび「弱者」と見なすとたちどころにその弱みにつけ込み、横柄に出、差別したりいじめたりする。出る杭は打たれるのごとく自己主張したり、物事を批判したりするとそれが正論であるか否かは二の次で、そういう主体性を持ってること自体が気に食わない。あるいは正面攻撃で勝ち目ないとみるや、搦め手から人格攻撃をしたりする。

  もとより真の先進国とか文化国家の指標はGNP・GDPなどの生産力数値のみで語れるものではない。芸術文化を如何に保護育成してるか、人類福祉、地球環境、国際政治などの中身や関わりかたの主体性などトータルに問われなければならない。少なくても特定国家のコバンザメでは資格要件自体が疑問。
 この価値基準は人間そのものへのそれに他ならない。人間の価値とは「ナンボ銭を稼げるか」で計られるものではないはず。
 つまりこの国は真の先進国ではないのだ。
 いずれにしろ市民社会の「衆愚」を一番喜ぶのが件の「エスタブリッシュ」だ。何度でも同じことをし、バレたら例の「儀式」をすればよい。

そこで市民社会を「バカ」のままにして管理しやすいものにするにはどうしたら良いか?、「批判精神」の去勢をはかるにはどうしたら良いか?
 とりあえずモノは豊富だし暮らしは便利だし、生産社会で無事大過なくやっていけば、年金もらって孫の頭でも撫でとける老後は迎えられるし、表向きは社会的責任を果たしているように見えれば文化芸術にことさら金を使わなくても批判される事はないし、自分の利害に直接関係ないことにことさら目くじらを立てることもない。なまじ妙な「思想」を持つことはそうした生き方の桎梏となるし、凡そ芸術なんてもんは己が甲羅に合わせて掘った穴に収まる程度でよいし、ホンネを言わず適当に「ファジー」で「ニュートラル」なら敵も作ることはないし、コミニュティーに波風を立てることもない。
 そう思わせることだ。そのためにはモノカネで横面を張る一方、人畜無害の享楽文化をどんどん送り込むことだ。ちょっと前の「ホリエモン」から昨今の「郵政民営化」まで体制内茶番劇ネタにはこと欠かない。
 
  そしてその通りになっている。誠に「賢政」だ。アメリカの理不尽なイラク侵攻には世界中で数千万の反戦の輪が出来た。世界中の文化人や芸術家も反戦のアピ-ルを出した。
 この国ではついぞ聞かなかったが。ディズニーランドで遊び呆けていたのではないか?
誠によく管理されている。当分安泰だろう。戦争まで。