1858年2月11日、14歳の少女ベルナデッタは始めて聖母マリアに遭う。十数回目の出現の時思い切って質問をする。「あなたはどなたですか?」答えて曰く「Que soy era Immaculada Conceptiou」(ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・コンセプシウ)「私は≪無原罪の宿り≫」すなわち自らが聖母マリアであると告げる。
ここで若干「マエフリ」がある。≪無原罪の御宿り≫とは、聖母マリアは「アダムとイブ以来の人間が須らく背負っている原罪を予め免ぜられている」と言うもので、その4年前の1854年ローマ教皇ピウス9世により定められた重要な教義。
ところがそれよりもはるか前からムリリョやティエポロらによってそれは魅力ある造形モティーフとして盛んに描かれていたのである。
上ムリリョ(1678年)
下テイエポロの(1767から69年)(「無原罪の御宿り」
http://art.pro.tok2.com/M/Murillo/mu03.jpg
http://sunsite.sut.ac.jp/cgfa/tiepolo/p-tiepolo16.htmi
つまりそのような思想がかなり以前からあったにしても、すくなくても正式なキリスト教の教義として認知されたものより絵画芸術の世界の方が展開が早かったということである。こういう例は「聖母被昇天」と言う教義もある。この宣言が為されたのは1950年、実に最近である。プッサンらはその400年も前にそれを描いているの。
因みに「聖母被昇天」とは聖母は死してその遺体は腐敗せず、遺体そのものが天に上げられたということである。
ここで私なりの疑問がある。「ルルドの奇跡」は「無原罪の御宿り」の僅か4年後。あまりにタイミングが良過ぎる。なにか教義宣言に伴う「聖母信仰」が高揚していた時期と関係があるのではないか。
その「Que soy era Immaculada Conceptiou」という言葉も聖母自身がそういうのは不自然だ。それになぜヘブライ語でなくラテン語なのか?
またルルドの聖水は重篤な病、瀕死の患者を治癒させたという症例が医者や科学者によりいくつも報告されているが、それならなぜベルナデッタの病気は治らず35歳で死んだのか?
いろいろ考えたら夜も眠れない。というか暑くて夜も眠れない。