過日ニュース映像を見た。アメリカ軍の爆撃を受けて死亡した我が子の前で「この子に何の罪がある!」と言って泣き叫ぶイラク人男性の姿である。小さな遺体が二つ、もう一人瀕死の子が。思わず「早くあの子を楽にしてやってくれ!」と叫ばざるを得ないほで仔細な記述をはばかるほどの惨状。
 その後進駐するアメリカ軍の隊列を恨みを飲んだ眼差しで見つめるこの父親の姿があった。是非を争うつもりはないがこの父親が翌日報復の自爆テロを敢行しても何の不思議もあるまい。不謹慎な言い方だが私はうちの猫でさえもがそんな目に合っても同じ感情を持つかもしれない。

 今テロを批判する声は多い。基本的にそれは以下様な論調である。≪テロは卑劣である。その行為と主張は国際世論の共感と支持を得られない。だからテロを掃討すべき軍事行為はやむを得ず、「平和の為の」大国による恒久的軍事支配シフトは合理化される。≫
 「鶏か卵か論争」の「落としどころ」をいつもこのようなところにおくのである。そうして多くがテロという「絶対悪」に対する「相対善」としての大国の軍事行為だけを合理化する。しかし断言してよい。そうした考え方は何の解決をもたらさなかったばかりでなく自体を一層混迷させる以外のなにものでもない。事は事実が示しているのである。

 そもそもアメリカなどによるイラク攻撃はそのテロへの報復ではない。それはアフガンのタリバン掃討作戦に留まる。その口実は「大量破壊兵器」だった。そしてその大量破壊兵器は見つからなかったのである。フセイン政権の9.11テロとの関係も否定された。つまり大義名分がないのである。強いて言うなら「イラクが大量破壊兵器が存在していないことを証明しなかったから」ということであろう。

 小泉は法学部出身と言う事だが「立証責任」という言葉を知らないのであろうか?立証責任とは疑問を持った方に課せられるのである。警察・検察が犯罪を証明す証拠を示す事が出来なければ無罪である。即ち「大量破壊兵器は確かに存在した」ということをアメリカ等の側が立証することができなければ国連決議も軍事行為も取れない。この法理論はインターナショナルであるはずだ。

 つまり、先のイラク戦争は対テロという意味でもその他の諸々の意味でも合理化できるものではない。テロは卑劣と言うが、「持たざる者」の行為は卑劣で「持てる者」の行為は正々堂々としてるとでもいうのか。大義名分なくハイテク兵器やクラスター爆弾で第三世界の婦女子を殺傷する大規模爆撃は卑劣でないのか!?テロを批判するならこっちのほうも批判すべきだろう!  

 敢えて言おう。その真の原因への洞察、叶わぬと言えど根源的解決法への思慮なく口先だけで、あたかも単細胞原生動物がごときテロの悪のみを語る一方、大義名分もなく、立証責任も果たさず、十分な国連決議を経なず、査察にも不要なタイムリミットを設定した、「始めに結論ありき」の、超大国の大量殺戮行為には目をつぶる者は、口先とは裏腹にテロの真の解決を望んでない者、否その後の掃討作戦と再報復テロの限りないいたちごっこの共犯者である。

  アメリカのイラク侵攻を支持した国はことごとくテロの標的になった。現に日本も標的にあげられているのである。いつまで「テロに屈っしない」などというお題目を唱えているのか?
 日本は最早傍観者ではいられない。「アメリカさんに乗っとけば間違いない」といった戦後一貫しての醜悪な「勝ち馬のり」はもう通用しない。アメリカのイラク攻撃を支持し自衛隊を派遣し、そして今アメリカの世界戦略に乗って憲法改定まで考えている。それが今差し迫った課題だ。

 テロは何もないところに生まれるものではない。誰も好き好んで自爆テロなどやるはずがない。パレスチナでは14、5歳の少女でさえ敢行しているのである。テロはそれに始まってそれに終わるものではない。根深い原因があるのである。
 昨今のテロは明らかにアメリアのイラク侵攻と駐留に対する反抗姿勢を示したものだ。フセイン残党がやっているわけではない。自分の国を他国の軍隊が我がもの顔に闊歩し、他国からああせいこうせい言われるのは著しくその国、その民族のプライドを傷つけるものだ。
 一夜にして鬼畜米英から「ギヴ・ミー・チョコレート、アイ・ラヴ・ユー!」と変節できる方が異常なのだ。
 
 私は微力と言えばあまりに微力だが、自らなりにこの問題を以下考察することにより、このことについての出口無き原生動物的思考の群れに加わることを御免蒙る。そうすることが必要なのだ。

 「9.11」はアメリカの枢要な国家機関や経済のシンボルのようなところが狙われた。今回はサミットだ。これらから彼らの行為には目的物そのものに打撃を与えるというより、象徴的なメッセージ性があるということが読みとるべきだろう。即ち「この地球はおまえたち先進国の思う通りにはさせないぞ!」というものだ。ジハード(聖戦)たる自爆テロもそうした象徴性に裏打ちされていると思う。
 これは欧米列強に翻弄され蹂躙されたという彼らの歴史とその過程で醸成されたアラブ民族のメンテリティー、アイデンティティに思い及ばずして絶対にこの問題は解決しないと思う。目先の利害を追う政治主義者達はこのことに気づかないのか気づかないフリをしている。
 
 その経緯は複雑。各種の利害が絡み合い、宗教と民族が絡み合い、憎しみが憎しみを呼び、報復が報復を呼び雪だるま式に膨れ上がリ、もつれにもつれた対決の構図がある。その原点はやはり「パレスチナ」であろう。
 話は3000年以上も前に遡る。シビアな現実がつかみどころのないイマジネーションと信仰の世界に繋がっているのである。

 (つづく)