「〇〇技法」とか「〇〇イング」とかの名前がつけられている絵画の技法がある。それは、特定画家が自ら積極的に命名したというより、あとから何某かの利便上で名前がつけられて、語られ、定着したという方が多いだろう。
ここでは例えば、「大気遠近法」や「透視図法」など、技術というより「考え方」の問題がかなりウェイトを占める「画法」とは識別して語る。
その技法の言葉通りにやってみるとその時点では大抵は上手くいかなかったり、自分の資質や絵の性格に合わなかったりする。
反対に自分が制作途上で必要に迫られたり、何某かの効果を狙って当たり前にやったことが、あとになって「ああ、これだったったんだ」と思い知らされることがある。
つまり、ある程度自分でやって見なければその本質は分からないものである。
よく挙げる例である。印象派の始祖格のマネの画法は「オランピア」に顕著のように、従来の古典派に比し極端にトーンの描写を省いている。この場合のトーンとは微妙なグラデーションのことである。それが色面による画面構成や筆捌きとともに当代に新しい造形をもたらしたとされている。その趣は下記で比較すれば歴然である。
http://art.pro.tok2.com/M/Manet/mane02.jpg
http://art.pro.tok2.com/T/Titian/tit08.jpg
美術史上はマネの画法を「トーンをつけてない」日本の浮世絵などの造形性の影響を指摘する。美術史上の解釈はそれでも良い、しかし描く方の立場、素材論から言えばそれは不十分なのである。日本の素材では「トーンをつけていない」のではなく元々「トーンをつけられない」のである。
この「積極的意志」が介在するか否かは造形上大きな違いがあるはず。
言うまでもなく油彩は遅乾性なのでボカシなどによりトーンはつけられる。しかし他の素材は速乾性なのでつけられない。ここにそれでは速乾性の素材ではどうしたらトーンをつけられるか?という克服すべき必要性が出てくる。
そういう言わば≪素材の一般的限界と特質を克服する技法≫、ここに「技法」たる所以がある。
水彩画の先達の人物画で見事にトーンをつけているのを見た。これなどはそういう意味ではかなりハイレベルの技法だろう。油彩以前の古典画の先達の後述する「ハッチング」などトーンをつける技巧は、油彩と言う有り難い素材を当たり前に思っている我々からすれば驚くべきテクニックである。
油彩においては
〇乾いてない上に塗る
〇生乾きの上に塗る
〇完全に乾いてから塗る
の概ね三プロセスがある。それぞれ持ち味が違う。特に真中のは下層の絵の具と微妙に溶け合うし、乗りや馴染がよいことからわざわざそのタイミングを見計らって描くほどである。これらは技法と呼ぶより当たり前の油彩の特質そのものである。
グラシやおつゆが描きと言う技法もこのヴァリエーションに過ぎない。
これに対し「乾いてない上に描く」と言う意味では、例えばフレスコのように漆喰が乾かないうちに顔料を染み込ませる、そのタイミングと画面処理計画など高度な技術が求められるもの、あるいは水彩画が乾かないうちに絵の具を垂らして浸潤の効果を狙うなどは、「素材の一般的限界と特質を克服する画法」と言う意味で真の技法と言えるものである。
「ハッチング」はまさにその技法の中の技法といえるものだ。上掲の右上は、実際はもっと丁寧なものであるが、ハッチングの考え方により描いた石膏像、左下のバラは通常のトーン処理によるデッサンである。前者がトーンをつけられない素材のトーンのつけ方の原理、後者が油彩で使われるトーンのつけ方といってよい。
ハッチングは普通「雨降り描き」などと呼ばれる、線の集合によってトーンをつける画法である。鉛筆デッサンも木炭デッサンも広義のハッチング的要素があるが、純粋な意味はテンペラ等素材と関連して語られる。実はこの技法「絵画」の本質に関わる重要な意味を持つ。
(続く…たぶん)