よくラーメン屋に行く。TVなどで紹介されている「行列の出来る…」というところだ。そのいくつかに喫煙は元より「女性の香水お断り」というところがある。当然麺やスープなど素材の一徹な扱いなどは言うに及ばずである。これをTVでは「こだわり」とか「頑固」とかいって何か特別のことであるかのように言っているが、至極当然の話であろう。

ラーメンとはそれを作るある種の職人にとっては、自分の人生そのものであり、アイデンティティを支える「作品」なのである。余分な匂いすらも許すことはできまい。他に胡椒を置いてない店とか水を置いてないカレー屋などもある、賛否はともかく、ただの自己満足ではなく、そうすることが自己の「メティエ」についてのプライドというものだし、最高のものを提供するというを自らの責任として受け止めている人もいるはず。

 一方、所詮は客商売であり、「お客様にお金を戴いている」以上サービス精神は忘れてならない。嗜好は千差万別、麺の種類や茹で具合からスープの濃淡、店舗環境に至るまで客の意向を尊重し融通を利かせて対応するのは当然、職人の自己主張は筋違いで言語道断、というところもある。

 種類は違っているが供に「プロ」としての考え方であろう。業種が違うので個人的にはどちら支持すべきか難しい。しかし少なくても絵画芸術の世界においては、後者の立場で美術史上名や実績を残した画家はいない。

 作品は正に画家の総てを注ぎ込んだもの、あらゆる犠牲や不利益を代償として獲得したレゾンデートル(存在理由)そのものなのである。とするなら妥協は無い。半端は許さない。余分な能書きはいらない。敵を何人作っても仕方ない。それが自分の作品への責任であり、あらゆる結果は是非も無く甘受するのみ。作品の価値とは結局はそういう、造形性を含めたパーソナルな「厳しさ」そのものと言ってよい。先達の作品と人生はその様なことを教えているのである。

 ある種のコミニュティーやこのような公共の場にそのような大所高所の原則を画一的に当てはめる事は出来ないだろう。しかし、誰が見てるか分からない。前向きに造形の世界を究めようという人もいるだろう。理想やポリシーなく何が語れるか!?
 少なくても絵画芸術について、自己のメティエについてのプライドも責任感もなく、伝家のラーメンスープにレトルトものを混入するがごとき、あまりに凡俗、粗雑、不適当、無神経、なものを受け入れ、看過するという立場だけは取りたくない。