Ψ転載記事(一部編集)
「世界の恋人」パリのディテールは汚い!犬の糞、鳩の糞、地下鉄の駅のホームはキップや吸殻で埋め尽くされている。
失業者達は朝からカフェで時間をもてあまし、ホームレスや大道芸人には2~3分に一人は出会う。夜ともなるとその筋のオネーサンが出没するとこや、ちょっと恐くて歩けないところもある。
人と言えば、絵描きは世界中から集り、他にジプシー、アフリカ、アラブ、東洋系の移民と、みんな「わけあり」の人生を背負ってるのであろうが、とにかく種種雑多。
しかし黄昏せまるサクレクールの丘に腰しを下ろし、暮れなずむパリの眺望を見ると、やっぱり美しい。
その美しさはどこから来るのか!?
この街に「表情」があるからだと思う。
芸術とは人間の「負の部分」とか不合理さをそれとして認めることから始まる。
我々の人生とはそうしたものを含めてこそのもの。
若し周りの人間がネクタイ絞めた優等生ばかりだったら表情のないつまらない社会であろう。人間の価値を稼得能力や社会的地位で計るような国であったら痩せた芸術しか育たないだろう。
実は私が抱いたこの感情、何十年も前に高村光太郎が同じようなことに気づいていた事を知って嬉しくなった事がある。
パリ 高村光太郎
私はパリで大人になった。
はじめて異性に触れたのもパリ。
はじめて魂の解放を得たのもパリ。
パリは珍しくもないような顔をして
人類のどんな種族をも受け入れる。
思考のどんな系譜をも拒まない。
美のどんな異質をも枯らさない。
良も不良も新も奮も低いも高いも、
凡そ人間の範疇にあるものは同居させ、
パリの魅力は人をつかむ。
人はパリで息がつける。
近代はパリで起こり、
美はパリで醇熟し萌芽し、
頭脳の新細胞はパリで生まれる。
フランスがフランスを越えて存在する
この底無しの世界の都の一隅にゐて、
私は時に国籍を忘れた。
故郷は遠く小さくけちくさく、
うるさい田舎のやうだった。
私はパリではじめて彫刻を悟り
詩の真実に開眼され、
そこの庶民の一人一人に
文化のいはれをみてとった。
悲しい思いで是非もなく、
比べやうもない落差を感じた。
日本の事物国柄の一切を
なつかしみながら否定した。