「ミネルヴァの梟」は黄昏時に飛び立つ」とはヘーゲルの言葉である。ミネルヴァとはローマ神話の「知の女神」。ギリシア神話ではアテナにあたる。梟はその使いでその女神のアトリビュートとして自体が「知」の象徴となる。

 いろいろ深遠な解釈がされる。哲学とは事象や人間について「このようなもの」と総括をする。ということは総括されるものも総括するものもある程度成熟してなければ解答は出ない。つまり総括で出された解答とは「これから適用される」ものではなく「あとでわかった」ことである。

 これを人生に例えると人生が分かった時は既に人生の黄昏時。遅すぎる真理ならざるをえない、という哲学の宿命みたいなものを語った言葉でもある。ここに先人に学ぶ、歴史に学ぶということの意義があるのだが、刹那刹那では、時勢や本能や我執我欲に支配されている。どうしようもない!
 
 実はこれは歴史そのものがそうだ。人間とは愚かさを繰り返す。「ミネルヴァの梟」のごとく遅れて目覚めた知性でひとたび「反省」するがすぐに忘れる。
私は夜行性である。だから一日単位では「ミネルヴァの梟」ということはない!翌日分に間に合う。(ご都合主義!)


 一方本邦の神話の「ヤタガラス」は征服者たる大和朝廷の始祖イワレヒコ(神武天皇)の「東征」を助けた勝利の象徴。このヤタガラスを日本サッカー教会はシンボルマークとしている。この協会のシンボルマークについての説明が曖昧で実体を隠しているという「右側」からの批判サイトがあった。
 堂々と神話からの出展であり、征服、勝利の象徴として、国威高揚、ナショナリズムに寄与すべしということらしい。

 因みにこれと同列視されるのが金鵄勲章の金鵄で、これも神話に現れる金色のトビのことでやはり先の「東征」で功績があった事から武勲を上げた軍人にのみ与えられるもの。

 ことはサッカーだけの話に留まらない。ことほど左様にこの国は政治・軍事にこの神話のエピソードを使ったのは事実である。「ヤタガラス」や「金鵄」は、神話がそれに留まらず国体護持や戦意高揚に援用されるという事実をいみじくも証明してしまったのである。

 キリスト教イコノグラフィ(図像学)では白い鳩は「聖霊」を現す。「父と子と聖霊」の三位一体の聖霊である。一方白い鳩は「平和」を象徴する。大砲の筒先に白い鳩が止まっているという、印象深い平和アピ-ルのイラストがあった。

 人間社会の空、いろんな鳥が飛んでるなぁ!