Ψ転載記事(一部加筆)
十数年ぶりで紅白歌合戦を見ました。勿論中島みゆきただ一人が目的です。
自分の人生の折折に彼女の歌があったような気がします。
パチンコをしながら「西田佐知子(古い!)久しぶりのヒットだな」と思ったのが、実は「別れうた」だったり、「夜逃げ」の時(大笑い!)「リバイバル」の「やっと忘れた歌が、もう一度流行る…」のメロディーが沁みたり、場末の飲み屋街を歩くと「夜風の中から」の「うらぶれ通りで.お前が雨に、震えているから眠れない…」が口をついたり、CMではないけど海外旅行の時は「明日」がピッタリきたり、特にその「どしゃぶりの一車線の人生」などには泣けました。
不思議なことに、中島みゆきの歌だから好きというのではなく、「ん??これ、いいな」とおもう歌がやはり彼女の歌だったということが多いのです。
加藤登紀子の「この空を飛べたら」、研ナオコの「窓ガラス」、小柳ルミ子の「雨」、日吉ミミの「世迷言」、桜田淳子の「幸せ芝居」、あっ、その幸せ芝居の、「私みんな気づいてしまった、幸せ芝居の舞台裏…」なんていうのはドキッとする人も多いのでは?私は「市民社会のコミニュケーション」とオーバーラップしますが。
「かなしみわらい」と言う曲があります.これ「うれし泣き」の逆ですね。物凄く悲しい時、笑えるかどうか鏡見て笑った事ないですか?私何度もあります。人が見たら「あいつ笑ってた!」なんて顰蹙買うかもしれませんね。この辺も鋭い。
「感性」という言葉は安易に使われる場合が多いので好きではないのですが、彼女の歌は「ホレたハレた、やったとかやらないとか」を超える、琴線に触れるものが確かにありますね。それが私一人の「感性の共有」、「サイクルの一致」でないことは彼女自身の今の在りようが示しています。
実は我々が畏敬すべきは、例えば絵の世界でいうと、年鑑評価主義のような外から与えられるものやハヤリモノではなく、このような自然発生的な価値の普遍性ではないかと思ったりします。
歌詞は間違えるし、音程は危なっかしいし「みゆきちゃん、しょうがねーな」は国民的行事のご愛嬌、彼女はやはり偉大です。
私にとってカラオケで堂々と歌うのは以前に書いたような曲、それは人知れずそとっ口ずさむ歌です。
彼女の暗さその位迫力あります。演歌には、どこかで「諦めずに、明日への希望に繋げる…」なんて欺瞞的なところがありそこが気に食わない。しかし彼女のは違います。徹底的に暗い。恨み骨髄、コンプレックス100%、そこに徹してるところがいいのです。突き抜けた透明感がよい。
「あなたは憂いを身につけて、浮かれ街あたりで名を挙げる…」(わかれうた)なんて泣かせます。
「お前の絵は暗い、日本人はシリアスな暗さを好まない、明るく楽しく綺麗なのを好むんだ、だから売れない」といろいろなところで何度も言われました。そのたびに思ったのは暗さを感じさせる間は未熟、コローだってユトリロだって佐伯だって暗い、もしそうなら中島みゆきがうけるわけがない!と…。
絵画における「中島みゆき性」、無視できませんよ!
十数年ぶりで紅白歌合戦を見ました。勿論中島みゆきただ一人が目的です。
自分の人生の折折に彼女の歌があったような気がします。
パチンコをしながら「西田佐知子(古い!)久しぶりのヒットだな」と思ったのが、実は「別れうた」だったり、「夜逃げ」の時(大笑い!)「リバイバル」の「やっと忘れた歌が、もう一度流行る…」のメロディーが沁みたり、場末の飲み屋街を歩くと「夜風の中から」の「うらぶれ通りで.お前が雨に、震えているから眠れない…」が口をついたり、CMではないけど海外旅行の時は「明日」がピッタリきたり、特にその「どしゃぶりの一車線の人生」などには泣けました。
不思議なことに、中島みゆきの歌だから好きというのではなく、「ん??これ、いいな」とおもう歌がやはり彼女の歌だったということが多いのです。
加藤登紀子の「この空を飛べたら」、研ナオコの「窓ガラス」、小柳ルミ子の「雨」、日吉ミミの「世迷言」、桜田淳子の「幸せ芝居」、あっ、その幸せ芝居の、「私みんな気づいてしまった、幸せ芝居の舞台裏…」なんていうのはドキッとする人も多いのでは?私は「市民社会のコミニュケーション」とオーバーラップしますが。
「かなしみわらい」と言う曲があります.これ「うれし泣き」の逆ですね。物凄く悲しい時、笑えるかどうか鏡見て笑った事ないですか?私何度もあります。人が見たら「あいつ笑ってた!」なんて顰蹙買うかもしれませんね。この辺も鋭い。
「感性」という言葉は安易に使われる場合が多いので好きではないのですが、彼女の歌は「ホレたハレた、やったとかやらないとか」を超える、琴線に触れるものが確かにありますね。それが私一人の「感性の共有」、「サイクルの一致」でないことは彼女自身の今の在りようが示しています。
実は我々が畏敬すべきは、例えば絵の世界でいうと、年鑑評価主義のような外から与えられるものやハヤリモノではなく、このような自然発生的な価値の普遍性ではないかと思ったりします。
歌詞は間違えるし、音程は危なっかしいし「みゆきちゃん、しょうがねーな」は国民的行事のご愛嬌、彼女はやはり偉大です。
私にとってカラオケで堂々と歌うのは以前に書いたような曲、それは人知れずそとっ口ずさむ歌です。
彼女の暗さその位迫力あります。演歌には、どこかで「諦めずに、明日への希望に繋げる…」なんて欺瞞的なところがありそこが気に食わない。しかし彼女のは違います。徹底的に暗い。恨み骨髄、コンプレックス100%、そこに徹してるところがいいのです。突き抜けた透明感がよい。
「あなたは憂いを身につけて、浮かれ街あたりで名を挙げる…」(わかれうた)なんて泣かせます。
「お前の絵は暗い、日本人はシリアスな暗さを好まない、明るく楽しく綺麗なのを好むんだ、だから売れない」といろいろなところで何度も言われました。そのたびに思ったのは暗さを感じさせる間は未熟、コローだってユトリロだって佐伯だって暗い、もしそうなら中島みゆきがうけるわけがない!と…。
絵画における「中島みゆき性」、無視できませんよ!