色彩というものは実は絵の具のチューブから出した瞬間が一番美しいのです。しかしその美しさとは言わば物理的・科学的美しさ、絵画的な美しさとは異質のものです。わざわざ絵でなくても巷に溢れています。かなり長いこと絵を描いている人でもその辺を混同させてる人がいるように思います。
 それでは絵画的な美しさとは何か?

 一つは配分、対比、ニュアンス、強調、バランス、ハーモニー、ヴァリエーションなど絵画空間での色の展開のさせ方の問題。これは当然、構成やフォルムやタッチ、マティエールなどと一体となった扱いが関わってきます。

 次に色そのものの扱いです。以下のようなことを単独でまたは併用して元々重厚でコクのある油絵の具の特質を活かすようにします。
1.混色( 例。青と赤を混ぜて紫を作る)
2.並置(赤と青の色面、色点を並べて紫を感じさせる)
3.透層(下層に赤をぬり上層に青を塗って紫を感じさせる)

 因みに上記の色彩の混成については再三色々なところで述べたが、某氏の、これをパクったことを悟られないための文言をちょっと変えた以下の文がある。この程度のパクリ自体に拘りを持つほど当方はケツの穴は小さくないが誤って伝えられるのは心外なので指摘しておく。

パクリ文
≪「色を混ぜる」行為には大きく分けて
 「混色」…絵の具どうしを物理的に混ぜる
 「透層」…乾燥した下の絵の具の色と色フィルムのように上に乗せる絵の具の色を光学的に混ぜる
 「並列」…となり合う違う色を心理的に混ぜるという方法があります。≫
 上記に「「並列」とあるが、スーラやシニャックなどの点描派にその典型をみるが、色彩の点や線は規則的に「並列」させるのではなく、適宜に「並置」させるのである。それとそれは「心理的作用」ではなく網膜に映ずる視覚的効果であり、いずれも印象派の重要な造形要素であり正確を期さなければならない。同氏の生半可で場当たり的な「知識」の披瀝はこれに留まらない。

 次はヴァルールの問題
ヴァルールとは以下様に定義されます。一般に「色価」と訳されてますがこれは不正確。
≪複数のモティーフ相互間の、または個々のモティーフにおけるパート相互間の、明度、彩度、色相に関する関係性≫
 分かりにくいかもしれませんが、絵画上の複数の色彩やトーンの関係性のことです。例えば同じ面積の黄色いマルと青いマルでは黄色い方が飛び出ます。これを等価で落ち着かせようと思ったら黄色のマルを小さくする必要があります。
 木の枝から青空が飛び出して風景画の造形秩序を壊しているような絵は「デッサンが狂ってる」というより「ヴァルールが狂ってる」と言うべきなのです。

 以上のようなこ絵画的な処理の結果として得られる色彩の美しさを私は「真に絵画的に美しい色」と呼びたいと思います。なおこれには「色彩感覚」という先天的な資質も見落と背ない要素となります。