私が始めてヨーロッパの土を踏んだのは、多くの人がそうであるようなパリとかロンドンとかローマではない。正確にはトランジットで一泊したモスクワだけど市内には一歩もいけず空港ホテルだけだったのでこれは地を踏んだとは言えない。
まだトランスフォーム前のブルガリアの首都ソフィアである。乗った飛行機もマイナーキャリアである旧ソ連のアエロフロートのイリューシンなんとかと言うジャンボの半分ぐらいの飛行機である。1年仕事で滞在したことのある縁者がソフィアへ行くと言うので便乗した。そうでもなければなかなか行けるとこではない。当時まだ東側に属していたし、情報も少ない。ホテルやレストランも数は少ないし看板さえでてない。
ただバルカンツーリストという旅行社があってそこがいろいろな手配ができるようだ。
ブルガリアについては大学の時東洋美術史を学ぶ留学生がいたくらい、ヨーグルトもまだでてなかったし、ただギリシア正教やロシア正教などからイコンへの興味はあったしとにかく外国に行きたかった
私は絵のものごころついてからずーっとヨーロッパに憧れ、ヨーロッパ映画をよく見、地図を開いてはイマジネーションを膨らませ。文字通り夢にまで見たところだったのである。
モスクワから2~3時間程度ではなかったか、青空の下に雲の層がいくつもあった。アナウンスがソフィア上空にさしかかったことを告げる。ドキドキしてきた。外国に来たのだ!
機は沈むように雲の層に吸い込まれる。中は天国のようだった。中まで差し込む光がキラキラと揺れ動き、雲のディテールまで輝かしていた。
最後の層を抜けた。見えた!!涙がこぼれそうになった。残雪を頂いたビトシャ山と浅葱色の平野に点在するマッチ箱より小さい赤い屋根屋根。背後のバルカン山脈。
今でこそツア-などでは簡単に行けるご時世となったが、かつては多くの画家が、ある者は貨物船で、ある者はシベリア鉄道で、朔太郎には「フランスに行きたしと思えど…あまりに遠し」と言わしめ、なけなしの銭をはたき、人生を賭けて目指したヨーロッパ!そうした感慨が一度に来た。眼下にその憧憬の世界がひろがっている。こう言う感激は貧乏絵描きの特権だ!
空港は「田舎の駅」のようだった。臓物が剥き出しのタクシ-にのり市内へ向かう。すすけた町並み、赤茶けた労働者住宅もなぜか美しい。「外国」って本当にあったんだ!
ホテルの部屋から見る市内はそんな私とは全く関係ないいつもの日常性が広がっていた、せわしなく行き交う人々。金色に輝くアレキサンダーネフスキ-寺院の丸いドームが圧倒的な迫力で今確実に異国にあるということを教えていた。
数年後、イコンやテンペラの知識で多少成長して私は再びこの地を訪れることになる。