長年お世話になってきた暮らしの工夫ウェブ「kufura(小学館)」の終了に伴い、これまでの連載記事を自分のブログで再掲載しています。

5月いっぱいでサイトが閉まってしまうので……と思ったら、6月いっぱいの間違えでしたw 
とはいえ、ただいま急ピッチでブログに移行中笑

 

28回目のテーマは「ペットとの別れについて」。

この文章を書いたのは、豊が旅立ってから少し時間が経ったころ。
 

「ペットとの別れ」について書いてほしいと担当編集に言われたとき、正直、逃げたかったです。
 

書けば豊に会いたくなる。

写真を見れば、あの頃の匂いや温度まで思い出す。


でも、11年8カ月一緒に生きた時間を、ただ悲しい記憶だけにはしたくなかった。

豊がくれたものは、最後の2カ月の闘病だけじゃない。
 

笑った日も、ゴロゴロした日も、何でもない毎日も。
その全部が、いまの私を作ってくれていると思っています。
 

これは、愛犬を失った話ではなく、私が、豊と一緒に生きた時間の話。

 

 

わかっていてもツラい「ペットとの別れ」どう乗り切ろう?私はいかにして愛犬を「虹の橋」へ見送ったか【#28】


旅エッセイストの国井律子です。今回の連載「無駄のない暮らし」は「ペットとの別れ」について。

昨年2024年6月、わが家で暮らしていたボストンテリアの豊(メスだけど豊)が11歳8カ月で旅立ちました。悪性脳腫瘍で2カ月闘病した末のことでした。

「永遠」は絶対にない。いずれ別れはやって来るものと頭ではわかっていましたが、一日中豊とべったりの生活を送っていた私なので、それはもう哀しかったですねぇ。だからこの題材について書くの、本当に時間を要しました。思い出したら最後、涙がぽろぽろ、おもしろいように落っこちてきて。それだけペットって特別な存在なんだなと。

現在、日本では8人に1人が犬や猫を飼育しているそうです。必ずやって来る別れのとき、皆さんはどう悲しみを乗り越えているのでしょうか。私の体験談を少し書こうと思います。

 

豊がわが家にやってきた!
 

2012年10月28日、ブリーダーで初めて会った生後12日目の豊。

 

2012年12月10日、わが家に来て2日目。

 

2012年12月31日、初めての旅は外房の家。

 

夫と結婚したころ、「子どもを授かったらイヌを飼おう、子どもと一緒に育てよう」とふたりでよく話していました。2012年12月、お腹の長男が安定期に入ったころ、豊がわが家の一員となりました。2018年には次男も生まれ、うちの息子たちは豊を「お姉ちゃん」と呼び、みんなで一緒に大きくなりました。
 

豊がいたから、わが家のクルマはキャンピングカーです。そんなアウトドア家族に迎え入れられたのに、豊は散歩嫌いで究極のインドア派でした。一番好きな時間は布団のなかに潜っていびきをかいて寝ること。豊の足腰が弱らないようにと休みのたびに低山に登ったりと、わが家は豊中心に回っていました。

子どもたちも、とくに長男は、トイレシートを替えたり、積極的に豊のお世話をしてかわいがってくれました。
豊と同じ布団で寝ていた私は、仕事部屋まで一緒に往復40分の徒歩出勤。とにかくいつも一心同体。豊と私は家族でもっとも長い時間を過ごしていたのです。

 

2013年6月、急に現れた長男に警戒しつつも興味津々。

 

ドッグランの後ベランダで清められている豊。インドア犬はドッグランではとにかくつまらなそう。数回で行くのをやめました……。

 

私の仕事部屋にて。日当たりのいい足元が豊の特等席。下から聞こえてくるイビキがうるさくて最高に愛おしかった。

 

インドア派なのにSUPなんか乗せられて、ものすごく嫌だったと思います(笑)。ごめんね。

 

絵が大好きな長男はいつも豊を描く。絵画教室の先生から「今年はどんな豊ちゃん?」と聞かれます。

 

キャンピングカーで爆睡する豊と次男。うちの子たちは、生まれる前から家にイヌがいました。

 

ある日突然病魔に襲われる


豊は肌が少し弱いというのはありましたが、大きな病気もケガもせず、いつまでも毛がツヤツヤで、10歳越えても「パピー(子犬)ですか?」なんて散歩中に話しかけられる「美魔女」でもありました。そんな豊が急に泡を吹いて痙攣して倒れたのは、2024年GW前夜のこと。幸い翌日は土曜日で近所の病院がやっており、血液検査などをしたけど異常はナシ。脳波をとった方がいいと、都内のER(緊急動物病院)を紹介されその日のうちに検査入院。
 

結果はかなり思わしくなく、悪性の「脳腫瘍」。しかも進行中の「神経膠腫(しんけいこうしゅ)」、“グリオーマ”ってやつだろうと。それは豊のような鼻ペチャ犬、「短頭種」に好発する病気だそう。人間のように毎年脳ドッグが受けられるわけでもないし、予防は難しいとか。ただ正確な診断さえつけば、残された時間を大切に過ごすことはできるとドクター。
 

急に訪れた「終わりの始まり」。

いつかは来ると思っていたけど、まさかこのタイミングで? いざ直面すると哀しくて。私のこと、一緒に過ごした日々のこと、忘れないでほしい。なんてことを思うたびに鼻の奥がツンとしました。風薫る大好きな5月。とんでもないGWとなってしまったのでした。

 

検査入院したERにて、ドクターから説明を受けているところ。白い箇所が脳腫瘍だと。

 

とにかく痙攣発作だけは起こさないようにしたいと、いろんな薬を渡されました。

 

フードに薬を混ぜる。最初のうちは食欲旺盛でガツガツ食べてくれたけど、途中からまったく食べなくなりました。

 

手術はせず病と「with」を選ぶ

 

豊は美魔女とはいえ、ヒトでいう70歳くらいで、「高齢」に差し掛かった年齢だとERのドクター。開頭手術して放射線を当てるという治療法もあるそうですが、その際には毎回「全身麻酔」。週に何度も。費用は300~500万円かかるそうです。
 

完治するなら喜んでやりたいと思うもの、11歳という高齢な上、進行中の悪性の脳腫瘍を患っておりなかなか厳しい状況……。しかも毎回「全身麻酔」になります。鼻ペチャ高齢犬にはとりわけリスキーといわれ、全麻で命を落とす子もいるそう。
 

豊が大事だから、治るともわからない手術はさせたくない。ジタバタするのもやめよう。ここから先は豊の生命力に委ねよう! クスリを用いながら、命尽きるまで病気と「with」な方向でと、私たち夫婦の意見はキレイに一致したのでした。

 

2カ月間の壮絶な戦い

 

検査入院から戻った数日後、ERの先生にすすめられ「いつも」の外房の家へ。これが豊との最後の旅になりました。

 

メルカリに出したけど売れ残っていたベビーカー。長男も次男も使ったこれ、まさか豊で活躍する日が来るとは(笑)。

 

仕事部屋への通勤もベビカ。散歩嫌い女の思うツボだよなーと思いながら、喜んで押しましたよ。

 

ペットを飼おう! と盛り上がっているときに、死に際のことなんか正直想像できませんよね。はつらつとした子犬を目の前にしたら誰もがそうだと思います。 だからこそ病気の豊をお世話しているとき、11年半分の愛情と命の重みを感じました。ペットは最高にかわいいし、私は生き物が大好きだけど、現在進行形で本当にいろんなことを考えましたね。

 

日に日に激しさを増す、脳腫瘍由来の徘徊。昨日できたことができなくなるあせり。逆もまたしかり。

がんばれがんばれ。でも無理するな。いつも私は豊にそう言っていました。

 

夜中の徘徊中、隙間に入り込んで出られなくなることも。ベッドに上がるステップでガード。

 

自転車ラックの隙間はベッドでガード。いままでの豊グッズがまったく違う用途に使われていく……。

 

ついに排泄も困難となり「オムツ子」に。サスペンダーとかオムツ姿とか可愛すぎ! ちなみにこれはヒト用のオムツ。テープタイプのS。

 

フリーランスVSサラリーマンの戦いも勃発

 

私はたまたまフリーランスだから豊とずっと一緒にいられるけど(ひとりで介護、ときたまものすごい孤独を感じるときもありますが)、一方で会社員の飼い主さんは、大変なときに傍にいてあげられないことにモヤると思います。わが家は夫婦の立場がまさに半々で、よくぶつかって喧嘩しました。
 

あと、「男女の違い」もハッキリ出ましたね。というのも私は豊が深夜に徘徊し出すと、パッと目が覚めてトントンして寝付かせるけど、夫は………。
ねぇねぇ知ってる? 昨日、夜中の2時と明け方の5時に私、豊のこと寝かしつけていたの。
「うそやん!」

 

まったく悪気がないから笑ってしまいます。聞こえているのに寝たふりーとか、スマホいじってるーとかじゃないから、いいのですが。夫いわく、私は豊の「寝かしつけ名人」らしいです……(笑)。
 

わが家の場合はフリーランスの私が、どうしても豊のお世話の比率が高くなりました。さらには闘病中、夫のアメリカ出張が重なったりと、結果、私が「限界!」と大爆発し、どうしたかというと、週末は豊の介護をお休みさせていただくことに。夫と息子たちにお願いして昼寝をしたり、美容院へ行ったり、ゆっくり過ごさせてもらいました。
 

誰かがこんなことを言ってくれました。

精一杯、でも一緒に潰れてしまわない過ごし方って大事ですよね

ほんと、こんな哀しいときでも「気分転換って大事!」と思ったものです。介護に育児に、ひとりで抱えては絶対にダメだと。

 

週末は誰かしらが豊の隣でぶっ倒れていました。看病って疲れるんですよね……。

 

豊の病のため「ステイホーム」。土日はベランダBBQしていました。コロナ禍を彷彿。

 

無理やり食べさせないと、まったく食が進まなくなってしまった。最後の方、手からごはんをあげていました。

 

いよいよやって来た「別れのとき」

 

豊が亡くなる前の晩、私の体力が限界で、夫と豊にリビングで寝てもらいました。深夜に豊がギャッギャと苦しそうに鳴いており。いつもより激しいなぁ。ていうか夫よ、あなた起きてる? 2時半くらいに様子を見に行くと(やっぱり寝られない……笑)、豊のことをトントンしている夫がいて。水をあげたり、オムツ交換していたり、甲斐甲斐しくやっている姿を見届けたら安心して、私はベッドルームに戻ったのです。


その後は、ああ静かだなぁ。やっと豊、寝てくれたかーと。私も眠っているのか起きてるのかボーッとしながら横たわっていたら、6時ちょうどだったか、長男が部屋に入ってきたのでした。


「お父さんが呼んでる!」


直感で、あ、豊逝ったな……と。
 

数日前から深大寺のペット霊園に話はつけていたので、スグに荼毘にふして、私と言えば人目をはばからずワンワン泣いて。「ばあちゃん(実母です)のときは全然泣かなかったのに、どうしてー?」と、完全に子どもたちにも引かれるくらい。その日の彼らの日記には、私が狂ったように号泣したことがつづってありました……。

だって犬って、いつまでも私のなかで赤ちゃんですもの。そりゃ母とは哀しさの種類が違うんです……。

 

2020年、次男2歳なりたてのとき。私のPCからは豊の写真がいくらでも出てきます。

 

こちら2015年、長男が2歳。南伊豆にて。いつでも豊は私たちと一緒でした。

 

止まない涙はない

 

豊を焼いた翌日のこと。お寺の方が届けてくれた骨壺を受け取った瞬間……。

やばい。涙が一粒も出ない! 逆にあせる!


おそらく私のなかで、豊は成仏したんだなと思いました。倒れてから2カ月間、ほぼ24時間ずっと彼女を看病してきたので、弱っていく過程をすべて目の当たりにした。だから豊を思い出すとき、骨と皮になってスカッとあの世に逝ってくれた姿だったのです。

それでか、お互い苦しみから解放されたような、ちょっとスッキリした気分なのかなとジブンでも驚いたのでした。

モイラ・アンダーソン著『ペットロスの心理学』によれば、ペットロスなどの深い悲しみからの回復においては、「悲しみを悲しみ、苦痛を苦痛として味わうことが、唯一の克服方法」だとか。
 

私、ちゃんとやれたんだなと。


置かれた立場はそれぞれなので「何が正解」とかないけど、可能な限り向き合った分だけ、よい時間となるのはたしかだと思ったものです。

 

豊とよく京王線で登りに行った高尾山。没後、何度も家族で足を運んでは豊を懐かしんでいます。

 

豊からのプレゼント

 

長くなりましたが、皆さんは、どのようにペットが亡くなったとき、悲しみから乗り越えましたか?
 

私は、いまだにこの文章を書きながら、めそめそと泣いてしまいますが(キーボードの前にティッシュが山盛り! 花粉症の季節とはいえ、ハタから見たら異様な光景ですね笑)、ただそれは哀しみの涙ではなく、当時のことを思い出して、「ああ、お互いよく頑張ったね!」というねぎらいの涙というのは間違いないです。
 

豊が居なくなって、子どもたちに手が掛からなくなっていることにふっと気づいた瞬間がありました。11歳と6歳。大きくなりました。これからは少し、私らしく生きよう。豊が居て、子どもが生まれた約12年、「旅エッセイスト」として忘れていた「ひとり旅」をボチボチ始めていますよ。先日も3泊4日で佐賀県に行ってきました。まさに豊からのプレゼントですね。
 

ジブンをもう一度取り戻す」という作業も、ペットロスにならないために大事なことかもしれません。
 

2025年1月にひとり旅したイカで有名な港町、佐賀県の「呼子(よぶこ)」にて。

※kufuraの再掲載ログは「掲載雑誌等」のテーマから探せます。

 

この記事を書き終えた日は、正直、放心状態。

 

でも、書き終わったあと、不思議と少しだけ軽くなりました。
 

こんなにも大切な存在に出会えたこと。
こんなにも誰かを愛せたこと。

それって、ものすごく幸せなことだったんだなぁと。

もうすぐ豊がお星さまになってから丸2年が経つ。
だいぶ重い腰上げて、リール作ったよ笑
机の上は、相変わらずティッシュが散乱していますw