↓↓こちらの記事ではばあさん(実母82歳)の元旦生まれのハッピーバースデーをやっているところ。「まだまだ死なないわよ!」と息巻いていたのに、約1週間後、まさに「ぽっくり」、ピンピンコロリと逝ってしまった。
哀しいし、寂しかったし、なによりビックリしたし(コレが一番かも!)、もうちょっと孫たちと遊んでほしかったけど。
おととい長男(7歳)は、こんな日記書いていた↓
![ウインク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/048.png)
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
私の気持ちまで成仏しちゃったのかも。
うん、実際、したのかも。
哀しい、寂しい、くやしいという感情は、もしかしたら「もっと一緒に●●したかった」、もっと、もっと、もっと! と、欲望があふれるときに訪れるのかなと最近思う。
いま、コロナで本当につらい思いをされている方々が多いですよね……。田舎に帰りたいけど、帰れない。親が病院にいるけど、人数制限で会いに行けない。つらいですよね……。「もっと、もっと」と、あふれてきますよね。うちの夫も口にこそ出さないけど、さみしいだろなと思います。金沢で暮らすばあば(夫のお母さん)とは、昨年の正月以来会っていない。月に数回、彼女とLINE電話しています。早くリアルで会いたいなぁ……。
で、話を戻すと、亡くなったばあさんと私は平日ほぼ毎日一緒にいた。私の仕事部屋=実家だし。別に出勤しなくてもよかったのだけど、ばあさんの生存確認の意味も含めて、通っていたのもホントの話。
そんな私たちはイベント的な楽しい時間も、子どもたちの心配事も、あらゆることを共有しまくって、一方で、この幸せが長く続かないことは私自身よくわかっていた。さかのぼれば、子どものときからずっとそのことを考えていた。現在の長男の歳よりも、もっと幼いころからかな。5歳とか。いまでこそ、高齢出産は当たり前になったけど、幼少期の私は周りの友人よりも、ずっと遅くに生まれた子どもだったから(ばあさん36で私を出産→いまだったらふつうじゃんと思うけど!)。
ここ数年はというと、いったいいつばあさんは逝ってしまうのだろうという心細さが常につきまとっていた。もしかしたら近い将来、彼女がボケるんじゃないかという不安もあった。母にあーんと食事をあげているシーンはまったく想像できなくて、私は未来を想うとき、いつもザワザワした感情と、不安と、でもまだ一緒にばあさんと居たい気持ちとで、心のなかがぐるんぐるんに揉まれていたと思うんです。
そのザワザワから解放されたんだよね、きっと。
いきなりピュンと逝っちゃって(次男いわくばあさんはロケットで天国に飛んでいったそうです……w)、本当に驚いたし、哀しいし、寂しいし、かなり早すぎるような気もしたけど、なんかホッとしたという感情も本音。
そういや彼女、私の夢にもまったく出てこない
4ヶ月ぶりの外房は、金夜から前乗りで。
![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/082.png)
![笑い泣き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/050.png)
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
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