私の実家は小規模個人塾をやっていて、都内に新しく塾を開くと、父みずからがオープニングスタッフみたいな感じで新店に出向いては、しばらくのあいだ通い、そこの塾を盛り上げた。私も学校から帰ると宿題持参で父のクルマに乗っかって、あちこちに行っては“タダ勉”させてもらっていた。
父にくっついて出かけると、もれなく美味しいモノが食べられた![グラサン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/036.png)
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「おい律子、夕飯は何が食べたいか?」
鰻!
鰻!
しょっちゅう、小田急デパートの上の階で、父と夕飯を食べたなぁ。
たいてい遅い時間だったので、エレベーターガールがオジサンにチェンジしていて。
寝坊して弁当が作れなかった今日、野暮用からの帰り道、ひとり小田急デパートのレストラン街へ。食後、この景色を眺めていたら、おとーさんの思い出がふわっと。
当時(35年くらい前ですね)は都庁なんかもちろん建っていなくて、野っ原で野球している子どもたちがいたりね。私もこの街との関わり合いがなんだか深くなってきたなーw 若人たちに年寄り扱いされるわ。
オイスターバーでノンアルでw、ひとり牡蠣とアスパラのトマトクリームパスタセットを頼むお一人様ランチおばさん。