2年前の今日、私は自転車に乗って、
仕事部屋から自宅を急いで目指していた。
羽田に向かうタクシーを待たせていたからだ。
自転車を漕いでいたら急に風の音がゴーッと聞こえた。
あれ、全然前に進まない。
この間、タイヤに空気入れたばかりなのにおかしいな。
そうこうしているうちに、道路脇の中学校から
大勢の生徒たちが奇声をあげて外に飛び出してきた。
そこで初めて、地震が起きたんだ、と気づいた。ようやく。

自転車に乗っていると、震度5強の揺れすらも気づかなかった。
だからみんなが自宅やオフィスで感じたような揺れの恐怖は、
私にはない。
それよりもそのあと、出張のために向かった羽田空港。
当然ながら飛行機は飛ばず、
ていうか羽田から自宅へと繋がるデンシャやバス、タクシーすらも
なんもなくなり、まさに“帰宅難民”となり、
大きな出張荷物をゴロゴロと引っ張りながら、
自宅にムリヤリ帰ったのはじつに明け方4時すぎだった。
夜風が凍えるほど冷たかったこと。
H社長への電話がまったく通じなかったこと。
環七の、見たこともない、ものすごい渋滞。
疲れ果てた人々が、ぞろぞろと家路へ向かう、異様な光景。
家に着いて、テレビをつけて、初めて見た大津波の映像。
その後しばらく、何をするにしても、何を書くにしても、
やる気が起きなかったこと。
私が凹んでどうする。日々抱えた、いらだった気持ち。
いまでもありありと思い出す。


でも、私の仕事は書くこと。伝えること。
その後何度か被災地に足を運んだ写真を何枚か。


●2012年6月4日 宮城県石巻市

別冊リツコング-石巻にて

海沿いでは“瓦礫”という言葉で片づけたくない
人々の生活がつまったカケラを、ショベルカーがかき集めていた。

別冊リツコング-石巻にて

○photo by 峯先生 MOTONAVIロケ にて

地震、それが引き起こした津波や原発。
震災後、連日届いた凄惨なニュースに世界中がショックを受けた。
東北全体がめちゃくちゃになった印象も受けた。

津波に襲われた海沿いはまだ復興に時間がかかりそうだけど、
それ以外の大部分にはいつもと変わらない春がやってきて、
私たちが思う以上に東北人は元気に暮らしていた。
実際に東北を旅してみなければ、わからなかった事柄だった。


●宮城県松島市

別冊リツコング-松島の牡蠣


松島でいただいた、もっちりミルキーな牡蠣。
バイク・スタントウーマンの大谷オヤジと。

松島は、ほかの三陸沿岸地域に比べると
津波の被害は軽微ですんでいるとか。
湾内に点在する島々が緩衝材となり、津波の勢いを弱めたからだ。
日本三景のひとつである松島。
“松島や、ああ松島や、松島や”
そう詠んだのは松尾芭蕉ではないようだけど、
海に浮かぶ島が幾重にも折り重なる絶景に言葉を失うのは

いまも昔も変わらない。
またこの土地は、伊達正宗の菩提寺といわれている瑞巌寺もあり、
多くの人々の心のよりどころとなっている。
そんなふうにみんなから愛される松島。
沖に浮かぶ島という“自然”が“自然災害”から人々を守ってくれた。
なんだか考えさせられる、松島での時間だった。


●2012年7月25日 石巻市・門脇小学校
AUTO ROUTE ロケにて

別冊リツコング-門脇小学校

別冊リツコング-石巻市街地

一段小高い日和山から石巻の海側の街を見下ろした。
311以前はどんな景色が広がっていたのだろう。
震災以降テレビで流れていた津波のすさまじい映像が頭よぎる。
胸がキューッと苦しくなった。
廃墟と化した門脇小学校では、私が滞在していた10分ほどの間に
何組もの人々がタクシー・ドライバーの案内のもと、訪れていた。
日本で暮らす人間として人ごとではない出来事。
この気持ちを忘れないでこれからも生きていこうと思う。


●2012年7月26日 宮城県仙台市

別冊リツコング-仙台七夕祭りの準備

街が七夕一色になる仙台七夕まつりは東北三大祭りのひとつ。
内職で作られた折り鶴やら薄紙で形作った花やらが
方々から一挙に集められ、作業場は色で溢れていた。
それはそれは華やかだったが作業にいそしむ女性たちも負けてない。
ベテラン女子会といった趣で賑やかにお飾りが作られていた。
ひとりひとりの小さな力が結集。
大きな七夕飾りになり、製作に携わった人、祭りを見に行った人、
何より被災地の皆さんが笑顔になるといいですね。


●2012年7月26日 宮城県・塩竈水産卸市場

別冊リツコング-塩竈水産卸市場

「揺れたなんてもんじゃなかった。
でも市場に津波は一滴も来なかったのが救い」と、
70歳になる市場のお母さん、震災を振り返る。
ツヤツヤな肌。とても70には見えない。
私がそう言うと、「36年もここで魚売ってるんだから!」と、
うれしそうだった。
お母さんいわく、冬場の場内はキンキンに冷えこんで
足腰に来るという。
「滑って22回も転んだのよ! 22歳だったらよかったのに(笑)」
彼女の明るい笑顔が市場に咲いていた。


●2012年9月10日 福島県・北泉P

別冊リツコング-北泉P

私のお気に入り、北泉のサーフポイント。
砂が持って行かれ、浜がずいぶん狭くなっていた。
そんななか、地元のサーファーが数人波と戯れていた。


●福島県南相馬市、小高(おだか)地区

別冊リツコング-福島

別冊リツコング-福島

別冊リツコング-ライダースカフェ

南相馬市の原町で食堂を営んでいる、バイク好きのマスターと。
昨年放送された気ままに寄り道バイク旅 のロケにて。

「ライダーには福島にどんどん走りに来てほしい」とマスター。
↑このお店もそうだけど、福島県内には現在10カ所ほど
ライダーズピット があり、バイク乗りにお得な情報を紹介してくれる。
ちなみに、福島県の観光有料道路3路線、
(磐梯吾妻スカイライン、磐梯山ゴールドライン、磐梯吾妻レークライン)
無料解放しているの知ってた!? あの気持ちいい道が!

別冊リツコング-菖蒲田浜

宮城のメジャー・サーフポイント、菖蒲田浜(しょうぶたはま)では、
平日なのにたくさんのサーファーが波乗りに興じていた。

別冊リツコング-カモメよカモメ

菖蒲田浜からほど近い住宅街の多くは、津波に流され、
いまはこんなふうに基礎しか残っていない。

別冊リツコング-カモメよカモメ

そこで釣具屋を営む元気なお父さんと出逢った。
一緒にカモメの餌付けをしているところ(笑)。


2年前の震災で、失われたたくさんの大切な命に、
心より追悼の意を表します。
被害に遭われた皆さん、お見舞い申し上げます。


別冊リツコング-東北内部

これからもちょくちょく、大好きな東北、
訪ねていこうと思います。
近い予定では、そういちろう(子どもの仮の名)が生まれて、
ちょっと落ち着いた夏ごろ、亡くなった山形のばあちゃんちに、
家族みんなで行こうと思っている。

皆さんも今年の夏は足を延ばして東北に行ってみませんか?
贅沢なワインディングとおいしいご馳走、
シャイで温かな東北人が待っていますよ!