9月21日、大切な人を亡くしました。


しょっちゅうつるんで走りに行っていた“スポーツスター好き”であり、
呑み友だちであり、一緒に本を作ったかけがえのない仲間だった。


放浪レディ 」(求龍堂)シリーズの写真家、
倉智成典(くらち しげのり)さん。


親子ほど歳が違うけれど、私たちは同じオートバイ
(99年製スポーツスター)に乗っていたことがきっかけで
みるみる仲良くなって、「なにかおもしろいモノを作りたいね」という
お互いの熱意と、タイミングの良さと、運……。
それらが全部合わさって、「放浪レディ」という本を
2002年6月に出すことができた。
私が「エッセイスト」になることができた、きっかけの本だった。


その本の、表紙の写真を決めるのに、
私たちはいったいどのくらいの時間、
出版社の会議室で討論しただろう。
倉智さんは、ちょっと私らしくない、
すごくセクシーな写真(笑)を猛プッシュした。
当時26歳だった私は、
「それは絶対にイヤ、もっと“旅”っぽくなきゃ」とか言って、
生意気にも大先輩である倉智さんの意見を受け容れなかった。
その場にいたいろんなヒトを巻きこんで、その押し問答は何時間も続いた。
見かねた出版社の方が、「今回は著者さん(私)の意見を通しましょう」と、
私が選んだ写真を表紙に。
倉智さんの案を、表紙を開いてスグの右側のページに採用して
その場は収まった。
(本を持っているヒト、見てみて 笑)


無事出版。
打ち上げで、大いに盛り上がった渋谷の呑み屋。
みんなで店を出ると、空が明るかった。
その日以降、私は燃え尽きたような気持ちになり、軽い肺炎をわずらった。
そのくらい一冊目の本の出版は、私にとって衝撃的な経験だった。


もともとはオートバイ仲間だったのだ。
それまでも趣味を通じて私たちはじゅうぶん仲良かったのだけど、
一冊目の本を作って以来さらに意気投合して、
その後も、灼熱のタイで撮影したり(続・放浪レディ )、
私の30歳の記念にと、これまで撮り溜めた膨大な写真をまとめた
写真集を出版したり(ritsukong )。
この不景気のなか、倉智さんはずいぶん骨を折ってくれて、
イタリア・ロケを実現してくださったりした(ボンジョルノ! )。


その道ではずいぶんキャリアを積んだヒトなのに、
倉智さんはいつも私と同じ目線で楽しんでいた。
物事に対して決めつけることなく、「吸収してやろう」という
気持ちを常に持っていた。
根っからのクリエイターだった。
そんな純粋な姿勢が大好きだったし、尊敬していた。


たくさんいろんな場所に行ったね。
いろんな写真を撮ったね。
褒め上手な倉智さん。
お調子者な私の性格など最初から彼はお見通しで、
褒めて、褒めて、とにかく褒めてくれて、
私たちふたりが一番いい、すばらしい撮影環境を作って、
私のことを気持ちよく引っ張ってくれた。
いままでたくさんのカメラマンと仕事をさせてもらったけど、
撮影中、こんなに馬が合うヒト、
いままでも、これからも、なかなかいないだろうね。


仕事の時間以外でも、私たちはしょっちゅう一緒に呑んでは、大笑いした。
倉智さんを中心に、いまでも大切につむぎ続けている
素晴らしい出会いがたくさんあって、
彼のご家族とも仲良くさせてもらって、
そんなさなか倉智さんの訃報を奥様から聞いたのは、
宮崎から大阪に向かう、フェリーのなか だった。
心臓発作で亡くなったそうだ。


またひとり、私をよく知るヒトがいなくなったと、
どうしようもなく哀しい気持ちになった。


そして、この先、新たな放浪レディシリーズは、
皆さんに二度とお見せすることはできないのでしょうか。


すごくさみしい。すごく哀しい。
けれど、私たちが一生懸命にときを過ごして、創りあげてきた証は、
「本」として残っていて、たくさんの方々の目にとまってきた。
きっと「本」はこれからもひとり歩きするのだろう。


それでいいんだよね、倉智さん。


「陽の光に白髪が透けている、将来のクニイの
かわいい姿が撮りたいんだ」
あなたのその願いはかなわなかったけど(笑)。


さよなら、またね。
ありがとう。


別冊リツコング-さようなら。ありがとう。


2003年2月、「続・放浪レディ」の撮影で訪れたタイ・チェンマイ。
ぜーんぶ撮影が終わって、大急ぎで空港に到着したときの一枚。
あのシンハビールの味は、忘れられない。


ていうかこの写真(↑)、なかなかブログにUpできず、
エラーばかり起こってしまったのだけど……。
倉智さん、この写真、気に入らなかったのかしら?
と、真顔で思ってしまった私です……。



*     *    *    *    *    *


さて、哀しい記事を書いておいて、こんなことを発表するのも
どうかと悩んだが、あえて……。

8月25日、名字が変わりました。
ジブンの誕生日に、新たな人生をスタートさせようと思ったこと。
はたまた、この日ならおそらく記念日を忘れないかな……、と思ったこと!?


先日バリ島で、家族だけでささやかにお祝いをしてきて、
このごろになってようやく落ち着いたので、今日ご報告させてもらいます。


別冊リツコング-国籍は?


36だし、ウエディングドレスもアレだったので(汗)、
ここはひとつ、「誰にも何も言わせない」バリの民族衣装で……。
着物よりも「全然自然」と、うわさで……。


お相手は3つ年下の男性です。

趣味を通じて出逢いました。

エグザイルの誰かに似ているといううわさもあります……(汗)!?

読者のみなさんからは、
「趣味に没頭するのもいいけど、結婚もいいもんだよ」とか、
あたたかいお言葉とともに、これまで見守っていただきました。


みなさんもきっとそうであるように、
私にもずいぶんいろんな日々がありましたが、

結婚が第二の人生のはじまりだと思って、
キュッキュッキュと気を引き締め、
でもあまり気負わないように(笑)、
楽しく生き進めていけたらと思っています。


今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



国井律子




「國井」は旧姓、「国井」はペンネームになります……。


別冊リツコング-結婚しました


先日のバリ島で、現地カメラマンに撮ってもらった写真。


撮影とか、ロケとか、何年もたずさわらせてもらっているので、
「え-、こんな日なたで、こんな固い光の下、
レフ板も当てずに撮っちゃうわけ!? 
ちょ、ちょ、ちょ、そんな遠くでフラッシュたいても届きやしないって!」

などという言葉はグッと飲みこみつつ臨んだ撮影でした……。


きっと倉智さんも天国で、「なんだよー。オレが撮りたかったな」と、
残念に思っていることでしょうね!