愛しい3の日を君に贈る -6ページ目

愛しい3の日を君に贈る

この人生を命ある限り届けたい。

その頃の自分は、そこが「宗教」だと知らなくて

そのことを知るのも随分後の話しだ


どうしてかそこには、兄と弟はいなくて

私だけが連れて行かれていた記憶がある


いつも行ってはごろんと寝て遊んで話を聞いているのは大人たちばかり

難しい話をしているんだっていうことだけを何となく感じていた



しばらく慣れてくると頻度も増えていった

親の友人は、役員なのかそれらしいことをしているようでいつも受付をしている

靴を脱いで会場に入ると

そこには、小学校の体育館くらいだろうか

とても広い空間の中央にマイクが掲げられ、おばさんが誰かの相談に乗っているらしく何やら喋っている

一斉の拍手の合図が質問が終わったんだということだけはわかった



ある日

母親から「さくら、何でも聞いてくれるって。聞いてみる?」

自分から質問をしようとは思ってもみなかった


“何でも質問に答えてくれる“というのだからじゃあとあまり乗り気でない自分は母親が自分のことを思ってくれたんだからと

真白の紙に書いて質問紙として提出することにした


「勉強するのだけれども、成績が上がらない。」

子供なら一度は、必ず勉強で直面する出来事だ


その日は、何やらキラキラしたビンクっぽいスーツを着た見知らぬおばさんが登壇していた


おばさん「さくら…さん?いるの?あ、そこにいるのね。隣は?お母様?いらっしゃる?

     何て貴方は我が儘な子なの!お母様!どんな教育をしてきたんですか!」


私「(なんで怒られてる?)」

心のままに質問し、大勢の人たちの中、コテンパンに怒られまくった。


なんだ…ここ。

正直に書いただけなのに。

自分質問で自分が怒られるのは仕方無いにしても母親は関係が無い。

何が悲しいって、母親さえも巻き込まれて怒られていることが1番辛かった。

勉強ができないのは、自分のせいなんだから


母親をふっとみると

泣いて…いた

私が号泣するから泣いたのか

育児に対して否定されたから泣いたのか

分からないけど、どちらにも当てはまるだろう


初めましての知らないおばちゃんにこっぴどく怒られ親子ともども号泣して終っていった


「いいわね、わかった?ね、皆さん」という最後の言葉は聞こえたのだけど

その間は怒られて泣いていたのだから結局何を助言してくれたのかは覚えていない


「ありがとうございました。」

の言葉も言えず、会場から拍手が沸き起こり、終わった


帰りの入口でおばちゃん(母親の友達)は

「さくらちゃんのことを思って教えてくれたのよ、きっと。」

なんて言われたけれど


慰めの言葉が余計に心を塞ごうとして心の痛みを大きく開かせていた

“そうですね。“何て口が裂けても言わなかった。


母親を泣かせた人なんて場所なんて大っ嫌いだと思った



こんなに否定される居場所なんて…必要がない。


このことがきっかけなのかどうかかは分からない。

母親は、この宗教から自然にフェードアウトすると同時に私が行くことも無くなった。