この記事は「がん」告知をされた
2015年から記憶を振り返って綴っています
現在はバツ2のシングルですが
2度目の結婚中、
がん告知後に
受精卵凍結を終え
術前抗がん剤治療がスタート中
骨転移発覚、
ステージ4と宣告された時のことを
振り返ります
4回目の化学療法を終え
帰宅しました。
まさかのステージ4宣告。
私の人生もついてないもんだ
終わりが見えている化学療法も
「いつまでやる予定ですか」
と聞けば
主治医からは
「とりあえず身体がくたばるまで
頑張って。」と言われるし…
終わりが見えていたから
抗がん剤治療も頑張れたのに
ステージ4と告知されたら
手術はできない。
抗がん剤治療を無期限で続けると
言われ…
この時、
全摘だろうが温存だろうが
オペ出来るって幸せ
だよなぁって思いました。
また、ふと頭によぎったのが
この抗がん剤治療の
ハゲ頭も一生のお付き合いってことよね
私に毛が生える生活は戻ってこないって
ことよね
自分の置かれた状況を
受け入れることなんて
当然出来なく、
寧ろステージ4に進行したのは
夫のせいだと思いました。
夫が酒ばかり呑んで
銀座のクラブで同伴したりアフター🥂に
行ったり…
帰宅したら暴言吐いたり…
7年経過し
離婚し、元夫も
断酒をして今は良い関係性だから
元夫に対して
怨みつらみの気持ちはないんだけど
当時の私は
夫に対して
不信感しかなかった
ステージ4と告知された夜は
流石に夫も酒は呑んでいなく
シラフだったので
怒りをぶつけた。
泣いて泣いて
一生分の涙を流したと思うくらい
他人からは昔から
出来のいい人間に思われていて
今まではいつもチヤホヤされてた。
正直話すと
私はモテていて、どこか自分に自信があった。
そんな私が
乳がんになり
髪の毛もなくなり
顔も腫れて
女として見られなくなった
いのちに変えられるものは
ないけど、30代の私には
なんとも辛くて悔しかった。
しまいにはステージ4。
子供👶も授かれず…
とうとう私に
バチが当たった
って思ったんです。
※母校の前で
帽子の下はウィッグです
ABEMA TIMES