7年前の昨日
骨転移が判明し
ステージ4と宣告
をうけました。

今、私は元気に💪
仕事にも復帰できております。

今日は私の想い🎗を
お話しできたらと思います。


7年前の昨日

癌が全身に回っており

局所治療では完治出来ないため

手術が出来ないと告げられた日です。


※当時の私

癌発覚当初最初は

ステージ2bの診断でしたが

主治医の判断ミスもあり

2年前の今日、医師から言われた言葉

「ごめん。転移してた…」

告知後、抗がん剤が4種類に増え

傷みが増した。

使っている抗がん剤の副作用として

心筋毒性があり

どうにかこの痛みを

緩和出来ないか主治医に相談したら

返ってきた答えが

「若いんだから我慢しなさい」

抗がん剤治療をやめて癌を放置して死ぬ確率と

副作用の心筋梗塞で死ぬ確率は半々なの。

それくらい深刻だと思って!」

私の心は病み、

精神安定剤と睡眠薬が手放せなくなった…

一時期はもう死んだ方が

マシなのかな…。

私のことを必要としてる人、いるんだろうか?


そんな時に

同時期に癌闘病されていた

竹田圭吾さんの言葉を聞き

最後の最期までジャーナリストを

全うされた姿に感動しました。

「癌を告知された時にいきなり人生が

終わるのではなく、ちょっと種類の違う人生が

続いてく。必ずしも闘うものではない。

共に生きてく」

この言葉に私は凄く救われました。

今、私が前向きな気持ちでいられるのは

竹田圭吾さんの影響が強いです。


そして長期の抗がん剤治療が功を成し

まずは胸の癌が消え

その主治医に手術を勧められました。

でも私はその医師に身体を預けなくなかった。

だから手術の直前にセカンドオピニオンをうけ

病院を変えました。

他の病院では私のケースは

手術を受け入れてくれないと

言われていたので、

転院するか悩んで悩んで…

あの時が一番苦しかった。


でも私は転院を選びました。

転院先の医師は前の医師とは違い

私の意見を尊重してくれました。

私は遠隔転移しているので

胸は残す、リンパ節も切除はしないで欲しい

と伝えたところ

部分切除手術になりました。

癌と初めて告知されてから1年1カ月も過ぎて

ようやく手術ができたのです。

私は患者として諦めたくないから。

医師が真剣に向き合ってくれている

今に感謝してるし

7年も生きれた自分を

褒めてあげたい。


今改めて思う。

癌になって良かったとは

思わない。

この7年間、失うことが多々ありましたけど

唯一、得ることができたのが

根性かな。笑

できる事伝えられる事を

世の皆様に発信していく。

それが生かされた私の使命かな

と思っています。

皆さんありがとうびっくりマーク


※ステージ4と告知されてから丸7年。

30代の時より若返りました😜




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