この記事は「がん」告知をされた
2015年から記憶を振り返って綴っています
現在はバツ2のシングルですが
2度目の結婚中、
がん告知後に
受精卵凍結を終え
術前抗がん剤治療がスタートした
時の事を綴っています
7年前の夏に
抗がん剤治療をスタートした
時のことを振り返ります🙋♀️
当時、私が住んでいたマンションに
母がたびたび、私の様子を見にきてくれました。
(実家から1時間近くかかるんですが)
抗がん剤投与後、数日は体調を
気遣ってくれ、家の掃除🧹やら洗濯やら
食材を持ってきてくれたり…
姑は私達夫婦のマンションから
歩いて5分位の距離でしたが
私からお願いすることは出来ず
姑がこちらのマンションにきて
世話をすることもなかったので
実母にお願いしてました。
やはり実の母しか
頼ることが出来ませんでした
本来なら
私が親の面倒を見なくて
はいけない
のに心配ばかり
かけて申し訳ないなぁと
思ってました…
私は子供の頃
厳格に育てられ
欲しいものをねだっても
買い与えない両親でした。
勿論お小遣いも
他人より少なかったかもしれません
ですが、
母は私の家に来た際や
時折送る手紙✉️と一緒に
現金💴を同封してくれたんです。
治療費にお金がかかるから
これ使いなさいって…
そうですね、
10万単位のお金を貰いました。
「お母さん、要らないよ
必要な時は私の貯金おろすし
欲しい時は旦那もいるから」
と私は拒否したんですが
母は
あなたが向こうの家で(夫家族)
引け目を感じないように、
持ってなさい。と言って
治療費という名のお小遣い
をたびたび貰ってました
本来なら私が
親にお小遣いをあげなきゃいけないのに…
母親って偉大です
※生え際だけ地毛で、ウィッグを被り
ヘアバンで境目を隠してます
ABEMA TIMES