この記事は「がん」告知をされた
2015年から記憶を振り返って綴っています
現在はバツ2のシングルですが
2度目の結婚で2回目の体外受精に
挑んでいた時の話です
母は私より
落ち込んだと思います
私には7歳離れた兄がいるのですが
母は兄を産んでから
流産と死産を経験しています。
男の子が産まれて
ほんの数週間で
亡くなってしまったのです。
そして兄も2.3歳の時に
心臓病にかかり
輸血を伴う大手術をした
と聞いています。
手術の傷跡ががっつりついていて
いくら妹でも
未でも詳しく聞くのは申し訳ないなぁ
と思っています
母にとっては
私の誕生というのは
待ちに待った子で
私の名前の由来は
久しぶりの日に産まれた子
ということで
久日子。
9月2日に誕生したので
92(クニ)
と読ませて
久日子(クニコ)
と名づけたようです。
私は産まれてから
乳がんになるまでの
38年間健康体
だったので
母的には、この子は丈夫に生きる
と思っていたようです。
だから、私の告白に対し
「丈夫に産んであげれなかった
責任は私」
と言ったのでしょう
※抗がん剤治療中の写真。
頭はウィッグで
この時が一番痩せてました