オヤジさん 第3回
私はずっと、生まれたときからずっと親を心配させてばかり来たようだ。
生まれて二ヶ月もしない頃に、丹毒という病にかかった。ペニシリンが開発される1年前である。
私自身に記憶はないが、足のところどころは赤くはれ、膿を持ち、リンパ節もはれて痛がり、寝かせると火が付いたように泣くので、お袋は一日中抱いていたという。
そのころのお袋と私は、お袋の実家である栃木県那須地方の山奥に住んでいた。当然近くに医者はいない。
やがて、私は危篤に近い状態になったらしい。お袋は、青森の大湊にあって海峡防衛の任に当たっている軍艦に乗り込んでいたオヤジに電報を打った。オヤジは電報の届いたその日のうちに艦長の許可を取り、私たちのところに駆けつけてきた。
私は今でも、時々このときのことを思う。大湊から那須の田舎までいったいどのくらいの時間がかかったんだろう。子煩悩のオヤジが、その間どんな気持ちで汽車に揺られていたんだろう。おそらく居ても立ってもおられず、汽車の中を駆け出したい気持ちで一睡も出来なかったのではないか。もしかしたら「之幸死ぬなよ、死ぬなよ」と、神仏やすでに天国に行っているオヤジの父に祈り続けていたのかもしれない。
遠方に旅行に出た息子たちが、連絡がないというただそれだけでオロオロ心配している私自身に気がつくとき、このときの親父の気持ちが痛いほどわかる。