やっと本を捨てる | アロマとチョンマゲの「ムッシューくに」

ずっと本を捨てられずにいました。

主に立原道造、堀辰雄、萩原朔太郎、津村信夫、庄司薫、などの本です。

 

 

これらの本は、そんなにしょっちゅう読むわけではなく、ときおり見るぐらい。

でもこれらの本がそこにあるということで、なんだか安心感を感じていたのかもしれません。

 

高校の時、立原道造の詩に出会い、それ以来四季派の人々のあたたかい関係に惹かれました。

室生犀星の軽井沢の別荘での話とか、追分の油屋の話とか、詩とか小説だけではなく交遊録的な話を読むのが好きでした。

もうそんなには読まないだろうなと思いつつも、捨てられずにいました。
捨てたら、なんか僕の一部がなくなってしまうかのように思っているところがありました。

それらの本の存在がないと僕自身がなくなってしまうと思っているようだけれど、それって本当?
って改めて自分に訊いてみました。


本がなくなっても、それらから得たものは、目に見えないものではあるかもしれないけれど全てがなくなっちゃうわけではないよね。とやっと思えました。

本という形(見えるもの)はなくなっても、見えないもの(読んで感じたゆたかさや、ほんわかしたこと、キュンとしたことなど)は僕の中にあるんだということを今更ですが、やっと認められたってこと。

 

今まで、ずっとそばにいてくれて、豊かさやよろこびを感じさせてくれたり、支えてきてくれた本たちとお別れしようと思います。

 

本たちの存在に頼ってきすぎたのかもしれないなとも思います。

いまは心のなかにあるその想いを大切にしようと思います。