父が亡くなり、うつ病になった母のことが超心配。弟が2人いるが、子育て中、嫁いだ娘だけど、子どもが一番大きい、すでに車椅子♿️の、母を看るには、自分が一番ふさわしい。

 

 遠くで心配するより、自分が看よう。連れ合いも許してくれた。嫌がる母を強引に連れて来たのは、22年前。亡くなっても、父は遺族年金で、母を扶養してくれた。

 

 母の介護で、病院に行く時、シートベルトができず、車🚗の運転中、路肩に車🚗を止め、シートベルトをしてあげ「そんな簡単なことできないでどうするの」(あ~こわー)

 

 車にも移乗できなくなり、スロープの介護車購入、当時スロープだけで50万円高い。

 

 障がい者の取得税や自動車税が減免されるが。税金逃れの悪用が問題化して、きびしくなり。通院だけでは回数が足らず、通勤ついで、週3回のデイケアの送り迎えに使っていたが、カウントされない、正直者は損をする、自動車税を払う羽目になる。

 

 自分がシートベルトが、いよいよ出来なくなり、母を思い出す。

 

 同病の母の介護、遺伝だから症状もそっくり、うつ病、睡眠障害、便は、自分で出ない。同じになって、後悔先に立たず。

 

 スプーン🥄を箸🥢にして。トイレに行くのが仕事、尿もれパンツ一日に、5枚ほど洗い、紙パンツ禁止、リハビリに平行棒のあるトレーニング室、犬と♿️散歩、嫌がる母を外に連れ出し、まるで、スパルタです。

 

 「そんな意地悪なこと言わんで」でも、それが母の病気の進行にブレーキかけてると、信じていた。

 

 お喋りもできず、目さえ開けず、ベッドに横たわり、朽ちていく丸太になったが、私の希望する、平均寿命の87歳まで、最悪を8年生きた。人間は簡単には死ねない。

 

 きつい娘でごめね。母を看てきて、傾向と対策のヒントが 沢山散りばめられていた。母を見て、自分もそうなる運命と、ビビった。

 

 車椅子で、畳にはわだちが出来た。段差だらけ。トイレも、お風呂のシャワーも お尻を擦って行った。手すりつけまくり、ストレスだらけの家、リフォームの参考になった。母に間に合わず申し訳ない。

 

 遺伝🧬の、宿命どうしようもない。私が子どもに伝えたいこと、病気でもクヨクヨせず、生きて欲しい願い。

 

 愛する子どもたちが、もし遺伝したとしても、途方に暮れないよう生きるバイブルやマニュアル書になる、ブログを残そう。

 

 80歳まで生きたいと、目論んでいる。あと13年、個人年金保険、受取期間70〜80歳があるからです。

 

 「ゼゼコ💰も大事」と老稚園で、笑われた。金婚式もできる。動機は不純ですが。

「目標は大切、ゼゼコ💰の為なら、エンヤコーラ‼️」

有言実行。気合いだ❗️気合いで生きよう‼️年金も74歳まで生きないと損と雑誌に書いてあった。生きてなんぼや❣️(単純)損か得か金勘定🉐はできる。