前回の記事から2ヶ月ご無沙汰してしまい、
なんともはや今年最後の日となってしまいました。
この2ヶ月いろんなことがありました。
まずは家内の事。
11月後半にがんセンターにてCTを取り、12月初旬 結果を聞きに
一緒に新しい先生の診断を聞いてきました。
結果、CTに異常無し。血液検査も、マーカーも特に異常無しとの事。
初発が末期で肺に転移していたことで、再発をずーっと恐れていましたが、
なんとか無治療できています。
来年の2月で丸8年になりますが、新しい先生慎重派だと聞いていたので
今回の先生の発言「もうほとんど大丈夫です。」は、ちょっと驚きました。
喜んでいいのか疑問ですが、、、。
前回の診察では、婦人系のガンは10年はみないと。と言っていたはずなのに。
とりあえず 今回もセーフだったので安心しています。
ガン細胞は1度血液に乗っかるとそんな簡単には消滅しないと思っています。
がん幹細胞は強敵です。
無治療になってから、家でしてきたことを徐々にお金のかからない方向で
やってきましたが、今回の診断を期に次の段階へと進んで行こうと思っています。
家内のことは次の機会にブログに載せます。
次に私ですが、以前起きがけの映像で、宇宙に上昇して遥か下に山脈を観た
のを最後にさっぱり観なくなりました。
(梵字のようなもの、白く眩しい光はたまに出てきますが。)
映像も観たいとも思わないし、執着もなくなりました。
もうひとりの自分が冷めた目で自分を見ています。
一つ一つ薄皮をそぎ落とすが如くです。
拙い文章で恥ずかしいばかりですが、もうすぐ新年を迎えますが、
読んでくださった方々
ありがとうございました。
良いお年を。
なんともはや今年最後の日となってしまいました。
この2ヶ月いろんなことがありました。
まずは家内の事。
11月後半にがんセンターにてCTを取り、12月初旬 結果を聞きに
一緒に新しい先生の診断を聞いてきました。
結果、CTに異常無し。血液検査も、マーカーも特に異常無しとの事。
初発が末期で肺に転移していたことで、再発をずーっと恐れていましたが、
なんとか無治療できています。
来年の2月で丸8年になりますが、新しい先生慎重派だと聞いていたので
今回の先生の発言「もうほとんど大丈夫です。」は、ちょっと驚きました。
喜んでいいのか疑問ですが、、、。
前回の診察では、婦人系のガンは10年はみないと。と言っていたはずなのに。
とりあえず 今回もセーフだったので安心しています。
ガン細胞は1度血液に乗っかるとそんな簡単には消滅しないと思っています。
がん幹細胞は強敵です。
無治療になってから、家でしてきたことを徐々にお金のかからない方向で
やってきましたが、今回の診断を期に次の段階へと進んで行こうと思っています。
家内のことは次の機会にブログに載せます。
次に私ですが、以前起きがけの映像で、宇宙に上昇して遥か下に山脈を観た
のを最後にさっぱり観なくなりました。
(梵字のようなもの、白く眩しい光はたまに出てきますが。)
映像も観たいとも思わないし、執着もなくなりました。
もうひとりの自分が冷めた目で自分を見ています。
一つ一つ薄皮をそぎ落とすが如くです。
拙い文章で恥ずかしいばかりですが、もうすぐ新年を迎えますが、
読んでくださった方々
ありがとうございました。
良いお年を。
11月3日、親父の45回忌。
私が中一(13才)の時 末期の肺がんで亡くなった。
当時、亡くなった長男がかかった病院で最初入院していた。
しかしそこではもうすでに手術は無理だったとか。
いまでいう緩和ケアの話もでたが、
母は断り別の病院に転院させ治療した言っていた。
転院先の病院でコバルトで治療していたが、それも気休めでしかなかった。
最後はモルヒネを打っていたようだ。
まだ中一だったからか、私はガンのことは知らされていなかった。
親父の病気が尋常でないのは気づいていたが、聞くのが怖かった。
まさか、親父が死ぬなんて、思いたくもなかったのである。
45年経って、親父の亡くなった歳に近づくにつれ、
当時の事が蘇ってくる。
しかし顔がよく思い出せなくなってしまった。
親父の写真もないので、脳裏にはうっすら、ぼんやりしている。
小さい頃、親父のあぐらを組んだ上にちょっこりと座っているのだが、
顔が思い出せない。悲しいものである。
人の死を意識しだしたのはその頃であろうか。
続く。
私が中一(13才)の時 末期の肺がんで亡くなった。
当時、亡くなった長男がかかった病院で最初入院していた。
しかしそこではもうすでに手術は無理だったとか。
いまでいう緩和ケアの話もでたが、
母は断り別の病院に転院させ治療した言っていた。
転院先の病院でコバルトで治療していたが、それも気休めでしかなかった。
最後はモルヒネを打っていたようだ。
まだ中一だったからか、私はガンのことは知らされていなかった。
親父の病気が尋常でないのは気づいていたが、聞くのが怖かった。
まさか、親父が死ぬなんて、思いたくもなかったのである。
45年経って、親父の亡くなった歳に近づくにつれ、
当時の事が蘇ってくる。
しかし顔がよく思い出せなくなってしまった。
親父の写真もないので、脳裏にはうっすら、ぼんやりしている。
小さい頃、親父のあぐらを組んだ上にちょっこりと座っているのだが、
顔が思い出せない。悲しいものである。
人の死を意識しだしたのはその頃であろうか。
続く。
