前回の続きとなります。

手術が終わり取りきれなかった肺と動に近くにあったリンパに飛んだガン細胞

そしてまだあるかもしれない腹膜播種を抗がん剤で叩くことになりました。

この時点では、抗がん剤の怖さは当時ネットの情報でしか

わかりませんでし、抗がん剤を拒否することはできませんでした。

主治医のなすがままで、家内もやる気でいました。

 

術後から、義姉からもらったフコイダン、術前から飲んでいた

MDフラクションを続け、JWTというハーブティ、

焼きバナナ1本を毎朝病院に持っていきました。

 

副作用に対抗すべく体力が落ないよう、免疫力が上がればと、

半信半疑ではありましたが、それにかけるしかなかったのです。

 

抗がん剤を1クール投与して2週間は家内の体に変化はさほどなかったと

思います。なんとか副作用が少なくて済むかと思っていました。

 

しかし、3週間目が過ぎた頃、髪の毛が抜けてきました。

2クールに入り、髪の毛はボソボソと残すもほとんど抜けてしまいました。

手足の抹消も痺れ始めてきていました

 

そんな家内の姿を見ると顔には表しませんでしたが、

やるせない思いと、不憫でたまりませんでしたが、

なんとかしなくてはと、また更にいろんな情報を集め出しました。

 

ガン、ガン治療はそんなに甘くはありませんでした。

 

4年前亡くなった田舎の長兄が言った「がんはそんな甘くないぞ。」という言葉が

心に焼きついてしまいました。

 

続く。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

混雑を避け5日の日に大宮の氷川神社にもお参りを済ませ、

正月気分も抜けました。といってもがん患者やその家族は

正月も盆もないのですが、来月で10年目に突入するとなると

少し心にゆとりがでてきました。

氷川神社の帰りの車の中で9年前の事を話ました。

9年前の家内の言葉が気になっていた事を。

 

9年前の1月末のMRIの検査から、がんセンターでの手術するまでの間、

お腹が妊婦さんのように大きくなり、歩くのも辛かったようです。

手術の1週間位前から咳をするようになり、横になると咳が出るので

看護婦さんに風邪ですかねーと聞いたぐらいで、

まさか胸に水が溜まり始めていたとは露知らず、

先生にみてもらい、胸水を抜いてもらた結果(何リットル

だったか、全て抜くことはできませんでしたが。)

そこにがん細胞があったのでした。

執刀医との最後のカンファレンスで、開口一番 「残念でした。」の一言。

ステージ4となりました。

家内抜きの私と長女で聞いたのですが、家内には言えませんでした。

 

手術当日、家内の兄夫婦、私の田舎の長男夫婦と姉が来てくれましたが、

検査結果 肺に転移した事、腹膜播種があったことなど

この1ヶ月であっという間に末期になったことを説明しました。

 

皆 言葉を失ってしまいました。(下の娘には話すことができませんでしたが、)

家内意外もうダメだと思っていました。

 

しかし家内だけは術後「死ぬ気がしなかった」と言っていました。

その言葉がずーっと気になっていまいした。

 

私は普通 肺にまで転移すると死の恐怖と不安で押し潰れそうに

なると思っていました。(いろんな方のブログやカウンセラーの話で)

しかし家内は全くそういう風には思わなかったようです。

 

家内の直感なのか、なにも考えていなかったのか。

 

取りきれなかった肺のガン細胞と

大動脈付近のリンパに飛んでいたがん細胞はまだ残っていたのに。

 

続く、、、。

 

 

 

 

 

 

明けましておめでとうございます。

 

2017年 元旦 毎年恒例の川越成田山別院へ初詣。

家内と下の娘と3人でお参りに。

いつまで一緒にお参りに行けるかわかりませんが、

娘もいやがらずについてきてくれます。

 

月に1回はここと大宮の氷川神社には行っているので、

淡々とお参りし、おみくじを引き帰ってきました。

 

そのおみくじは、、、