旅の振り返り | 水行末

水行末

第3の人生の足跡の備忘録のためのブログです。

 先日の後輩との山陰小旅行の振り返りである。思えば私が日本の各地に出かけた記憶は、そのほとんどが仕事上の出張である。個人的に行きたいところに出かけた記憶は殆ど無い。

 

 写真は全て携帯で撮影した。充電装置を持参しなかったので、後輩の充電装置を利用させてもらった。結果、写真を殆ど撮らなかった旅行となった。1週間が経過して記憶も薄れてくる。今のうちに心に残った事を書き残しておこう。

 

1日目、津山城、蒜山高原、大山

 津山城、初代城主は森忠政であること、本能寺の変で織田信長と一緒に亡くなった森蘭丸の兄弟であること、これは全く知らなかった。

 

 大山の裏側、近くまで行くと地形が急こう配のため、多くの砂防堰堤が建設され、それも多段に数多く建設されている。

 

2日目

 境港、水木しげるロード、水木しげるの生地であることを生かし、彼の生前の仕事を町起こしに活用している。今回の旅では、「名探偵コナン」の知名度を利用したコナン駅(由良駅の別名)の存在、また、名探偵コナンの作者が青山剛昌氏であることを知る。

 

 また、倉吉市の白壁土蔵群が「男はつらいよ」の撮影場所であった事をてテコに売り出している事を知る。土蔵群の写真はパンフレットが入手できたため、撮っていない。

 

 松江城も津山城も天守閣までは登っていない。70を超えると階段を上る気は全く起きない、旅は同年齢の友と行くべきだなと思う。

 松江城、ここでもソバを頂いた。

 

 

 出雲大社では、出雲大社独特の礼拝形式があったこと。出雲大社より北に足をのばすと「日御崎神社」という結構立派な神社があり、後から調べると出雲大社の祖神(おやがみ)と称されており、出雲大社に負けない格を持つ神社が存在する事を知った。

 

 

 お世話になったホテルは何れもビジネスホテルだったのだが、一つは大規模な浴場を解放しており、一つはコロナ感染対策のため大規模浴場に運用を停止していた。帰宅してコロナ対策の指針を調べると「黙浴」だけが基準として述べられている、浴場運用の可否は事業者にい任されている事を知る。

 

 この旅ではマスクを頻繁に付け外ししたので耳が痛くなった。もう、マスクもその効果は怪しいものだと誰もが気付いていると思うが・・・同調圧力の大きな日本社会ではマスクから解放される日は遠いなと改めて思わされた。